週刊現代(5月28日号)の「それがどうした 男たちの流儀」で、伊集院静さんが本屋にまつわるあれこれを書いている。人気作家と書店の関係はメーカーと販売店であり、文字文化を守る同志でもある。その一端がうかがえ知れて興味深い。
「馴染みが消えるというのは淋しいものである。それが人であればなおいっそう寂寥感は増すのだろう。人でなくとも、街なら、店などがそうであろう」
伊集院さんが「消える」話から始めたのは、書店街で有名な千代田区神保町で、馴染みの店が休んでいるのを知ったためだ。店じまいではなく、ビルを建て直す間の臨時休業らしい。その日、作家がこの街を訪ねた目的は、手元で足りなくなった自著を買い求めるためだったという。ファンに贈るサイン本か何かだろうか。
神保町には古書店が多く、新刊を扱う一般的な書店は多くない。伊集院さんは記憶を頼りに、かつて店長と仲が良かった店を探し当てたものの、自著は見当たらなかった。
「何か書店員が選んだ本が表に置かれているのか、この春に出版した三冊のどれもない...特徴を出さねば生き抜いていけないのだろう。それにしても自分の本がないのは淋しいものである...少し腹が立ってくる。何だ、スカシタ本ばかり置きやがって!」
店員に聞くと、店ではなく倉庫のほうにはあるらしい。
「よくまあこんなにツマラナイ本ばかりを並べてやがるナ(すべてではないが)」
寮にモンガク全集が...
本作の後半は、本や書店との縁である。山口の高校から立教大学に進み、野球部の寮に入った筆者に、郷里の母親から文学全集と詩歌集が届く。勝手に段ボール箱を開けて中身をチェックした先輩たちは、「おまえ本当にこのモンガクを読むのか?」と聞いたそうだ。漱石を「そうせき」と読める部員は一人もいなかったという。
伊集院さんが日常的に本屋を回るようになったのは、文章を生業にしてからだ。海外取材が多かった40~50代は、異国の本屋に立ち寄るのが楽しみだった。
「本屋に並べてあるものは、その街の文化の程度をあらわしたり、街の人々が何を好んでいるかがわかる...パリの美術書が多い本屋、アムステルダムの写真集ばかりの書店、ニューヨークの大統領の自伝が並べてあるブックショップ...」
話題は最後に、新刊の売れ行きを左右するまでになった「本屋大賞」に移る。
「書店員が選ぶ面白い本というのがある。それに選ばれると本が売れるらしい。書店員が、そんなに本を見る目があるとは思われないが、ともかく売れる。私の疑問のひとつに、どうして、それに私の本が選ばれないのだろうか、というのがあるが、編集者に訊くと、『あれは新人が対象ですから、無理でしょう』と言われた」
以下、編集者とのやりとりをつないでエッセイは終わる。
「私はいつも新人のつもりなんだが」
「そんなに怖い新人作家どこにもいませんよ」
「......」