Hanako 6月号の新連載「ひんぴんさんになりたくて。」で、エッセイストの寿木(すずき)けいさんが「本当を生きる計画」と題して人生の意味に思いを馳せている。
3年前のこと、寿木さんの古い友人が豪雪地帯にある古いスキー宿の経営を継いだ。エッセイは今年の正月休み、家族で彼女の宿を利用した話から始まる。
民宿街にある宿は「どこもかしこも古いけれど、格式があって、見るからに清潔な感じがした」という。スキー客があふれたバブル期にはひと晩200人分の食事を用意したらしい。てんてこ舞いの食堂や浴場を仕切ったのが、友人の祖母だった。当人も若いころから休みのたびに東京から来て、看板娘として常連たちにかわいがられたそうだ。
「建物を案内してもらいながら、私は、ずっと思っていたことを聞いてみた。都会で会社を経営しているあなたが、どうしてこんな、便利とはいえない土地で宿を...」
しかも時間をかけて建物を直している途中。何がそこまで引きつけるのか。すると彼女は言った。〈私、あの時代を取り戻したいって、本気で思いはじめちゃって〉
あの時代というのは幼少期のことらしい。〈夏の川の冷たさ、西瓜の甘さ、冬のごった返したにぎわい、灯油ストーブの香り...あの頃の私が、本当の私だった〉とも。
「人生の総仕上げだ」と寿木さん...「それ的な」と彼女。
胸中の小さな炎
寿木さんはここで、メイ・サートン著『総決算のとき』を引く。不治の病を告知された女性編集者の心の機微を描いた作品だ。死を前にして主人公の胸は躍る。〈これで人生好きなようにやれる。ちゃんと、うまく死んでみせる〉と。
「健康だったときには持ちえなかった、うずくような興奮。それは、最期に訪れた、一瞬の、最大の輝きである。でも、だ。余命宣告と引き換えでなければ、こんな生き方が手に入らないなんて...毎日小さく決算するつもりで、生きられないだろうか」
筆者はこう自問したうえで、なじみのない連載タイトルについて紙幅を割く。
「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)という言葉がある。教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和したさまを指す。それって、ありのままを真っ当に生きているということだと私は思うし...そういう生き物になりたくて、トライとエラーを繰り返している。死ぬ間際なんて、いやだ」
話は雪国の三が日、女ふたりで出かけた街でのエピソードへ。大勢に話しかけられる友はすでに地元の有名人。そのつど相手の名を呼びながら、慣れた様子で年賀の菓子を渡していく。筆者は「こういうところ、敵わない」と感心しつつ思う。
東京で経営者を経験した彼女にとって、引き継いだものを残すより、壊して新たに作るほうが簡単なはず。だからこそ、残すことに挑む人は気高く見えるのだろうと。
「取り戻すとなると、さらに計画は長い。彼女がそっち側に立ったことに、私はものすごく憧れて、打たれた」
スキー用具の乾燥室だった宿の地下は、カラオケルームに改装するとか。
「無音の雪の街で、彼女と歌える日を楽しみに、私も精一杯暮らそう。彼女の夢を知って、応援することで、私の胸にも小さな炎がインプットされた」
「同志」に近い関係
寿木さんは、書籍化もされたツイッターの「140字ごはん」など、料理研究家としても知られる。出版社に勤めながらレシピ本などの執筆を続け、25年の東京生活を経て今年2月、夫君の転職に伴い山梨に居を移した。
本作の最終段落には、初回ということで連載の趣旨を説明したくだりがある。
「この連載では、ぽっと火を灯したような、ひんぴんした粋な人たちのことを書いていく。ふと袖を振りあった縁の中に見つけた姿を、忘れないように」
最初の「ひんぴんさん」である友人女性は、親族が関わった宿の経営に乗り出したところ。寿木さんと同世代だとすれば40代だろうか。人生半ばにしての大転機である。その動機が自分を取り戻すことだという。
ブログ等を拝見したところ、寿木さんも移住先と定めた山梨の古民家を改装中で、いずれはそこで民泊の営業、酒食の提供を計画中とお見受けした。となれば、親友の女性は気高い理想像というより、同志に近い存在かもしれない。
「彼女がそっち側に立ったことに打たれた」という結論部分は、勝手に「こっち側」と読み替えさせてもらった。小さな決算を重ねた先に、お二人の成功あれと願う。
冨永 格