「ゆうゆう」6月号の「羊のところへはもどれない」で、中島京子さんが新社会人につきものの失敗について書いている。エッセイは姪の就職話で始まる。小さなメーカーながら希望したファッション業界に、デザイナー職で採用されたそうだ。
「わたしには子どもがいないので、こんなことでこれほど気を揉むとは思わなかった。姪の就職は一から十まで心配で、そして、これから先の社会人生活も...やりがいのある現場を見出せるように...しかし、がんばりすぎないようにと...ひたすらハラハラしている」
そして「自分のことを思い出してみても、新人時代というのは失敗も多い」と本題に入る。中島さんは大学を卒業後、作家になる前に出版社で女性誌の編集に携わっている。
「かつて勤めていた会社に、ものすごく印象的なアルバイトさんがいた。うん、彼女はおもしろかった。彼女なりに緊張している場面もあったのかもしれないけれども、非常にリラックスしているようにも見えた」
中島さんの編集部では、菓子などの土産があると庶務バイトのデスクにそのまま置いておく。バイトも心得たもので、編集部員に配って回るか、箱を開けて「ご自由に」という感じで机上に放置する。それを銘々が勝手に取っていく。平凡なオフィス風景である。
伊勢出張の社員が「赤福」を買ってきた。慣習を教えてもらわなかったらしく、その新人バイト嬢は箱を開け、添付の木べらでアンコと餅をすくい、パクリと口に入れた。
「わたしたちはそれぞれの机で仕事をしていたが、みんなにわかに落ち着かなくなり、その後の展開が気になって仕事どころではなくなった」
バイト嬢はそれが礼儀だと思ったのか、ひとり格闘の末に完食したそうだ。
勝手に重兵衛さん
次は中島さん自身の失敗談である。
「最初の失敗は、人名を間違えて印刷して製本して書店に送ったことだ...たしか『重衛』さんとか『作衛』さんとかいったお名前を、勝手に『重兵衛』さんか『作兵衛』さんにしてしまったのだった...わたしの頭の中では『衛』のつく名前は、どうしても『べえ』でなければならないという、頑固な思い込みがあったに違いない」
印刷前のチェックで見落とし、商品として並べてしまったということだろう。ご本人も書く通り、細心の注意を払ってもなお、文字を操る作業がミスから解放されることはない。「いまだに、本を出して、誤植を発見しないことは稀だ」。
中島さんが知る「いちばんすごい人名ミス」は、某出版社がやらかした「字野千代」だという。それも表紙カバーの著者名で。日本文壇の最長老、宇野千代(1897~1996)を「じのちよ」にしては救われない。もちろん、書店から回収する騒ぎとなった。
「ただまあ、こうして書いていると、失敗というのは多くの場合、後々は笑い話だ。そんなことを言われても、失敗直後は慰めにならないけれども。春はスタートの季節で、いろんなことがある。若い人たちにはがんばってほしいです」
やらかす特権
失敗は新人だけのものではない。私なんか逆に、キャリアを積むにつれて慣れゆえの「やらかし」が多くなった気さえする。ただ、失敗は新人の「特権」である、というのは真実だろう。誰もが小さな失敗を重ね、怒られ、反省しながら育っていく。
中島さんの姪御さんは幸い希望の職種につけたようだが、就職活動も挫折と失敗と後悔の宝庫である。結婚しかり、子育てしかり、長い老後もそう。すべてが思い通りになる人生などあり得ないし、たまたまそうなったとしても味気ない。
作家は見聞きしてきた話を並べたうえで「失敗というのは多くの場合、後々は笑い話だ」とまとめている。赤福を自分への心遣いと誤解した新人バイトさんの武勇伝が象徴的である。編集部員らのリアクションまでは詳述していないが、おそらく誰も真顔でとがめなかったのではないか。そういう部類の名物だし、その程度の、気が張らない(だけど美味い)お菓子だからこそ、手土産の代名詞としてあれほど売れているのだと思う。
新人が手がける仕事も同じである。そもそも、失敗したら組織や会社が傾くような案件はルーキーには任せない。うまくいけばみんなで万歳、うまくいかなくてもご苦労様、次は頑張れよとなるだけだ。
冨永 格