週刊文春(4月21日号)の「似合う服だけ着ていたい」で、パーソナルスタイリストの霜鳥(しもとり)まき子さんが親子、とりわけ母娘間で服装の「好き嫌い」がどう引き継がれていくかを考察している。
霜鳥さんは「カラー診断」中の顧客に〈このピンクは似合っていますか〉と聞かれる。カラー診断とは、その色目が客にふさわしいかどうかを話し合う作業らしい。
お似合いですよと答えると、客は〈実は鏡を直視できないのです〉と意外なことを言う。なんでも、幼いころ母親から「あなたは可愛くないんだからピンクは似合わない」と断言され、青ばかり着せられていたという。以来、ピンクは一度も着ていないと。
「愕然としました。そんな呪いをかけられて、これまでどんなに辛かったことでしょう。泣きそうになるのを堪えながら診断を続けたことを覚えています」
その客は後に「醜形恐怖症」と診断されたそうだ。
「母子の関係は近いので、相手を想う気持ちとこうあって欲しい気持ちが折り合わなかった時、強烈なこじれ方になるのかもしれません。着るものを選ぶ、という事の裏に、親子の関係性が見え隠れするものだなと...」
服選びには親子愛あふれる「幸せの物語」も多い。しかし親が自分の物差しで着せ、子もその影響を受けるという冷厳な事実は、愛があろうがなかろうが変わらない。
授業参観での傷
成人した娘の服を全て選んでしまう母親もいる。「いちばん知っているのは私」と。服選びにはもちろん、「考えることをやめてしまった娘」も同伴させている。
「お嬢さんはこちらがどう褒めても反応が薄く、自己肯定感が低いように見受けられました。親からしてみれば従順に見えて可愛く、世話をやいているつもりなのかもしれません。しかし実態は支配やコントロール...」
そんな母親に対し、霜鳥さんは娘に話すふりをしながらメッセージを送るという。
「もう成人しているんだから、似合う服は試行錯誤してでも知りましょう」「お客様が親になった時には、親子は違うということをお子さんに伝えなければいけませんね」といった具合だ。それを横で聞いていた母親は以後、付いてこなくなった。
逆に、派手な服装の親がイヤで、自分は紺か茶、黒しか着ないという女性もいた。授業参観で親が悪目立ちするという「恥ずかしい思い」がトラウマになっていた。
「好きで着ているのならいいのですが、あてつけのような感じで落ち着いた色を着ていたその方は、お世辞にも幸せそうなお顔ではありません...お母様と似ていて、本来は華やかな色みが似合う方でしたので...華やかなコーディネートをさせて頂きました」
霜鳥さんにも高校生の娘がいる。黒髪を刈り上げショートにしている彼女をかっこいいとは思うが、奇抜な服装に手を出したらどう対応するか、自信がないと。
「想像を超えたファッションを愛す娘だったら、果たして受け入れられたのだろうか。好きなものを着る精神的効果はわかっているつもりですが、いざ身内となると、プロでも色々考えてしまいますよね。あ~私も人並みの親」
服で可視化する
まずはパーソナルスタイリストという仕事だが、個人の着こなしについて助言するサービス業、といったところか。2月の連載初回にある著者自身の言葉を借りれば〈個々の生き方や嗜好、ものの見方、考え方のスタイルを洋服で構築・可視化する仕事〉となる。
おしゃれに関するカウンセリングのほか、服買いや美容院への同行、自宅のクローゼット点検、メイクレッスンまで手がけるそうだ。
霜鳥さんは、日本航空の国際線CAからスタイリストとして独立、これまで15年、10歳から88歳まで2万人以上の相談に乗ってきたという。雑誌での連載は初めてだ。
さて母娘の服選び。私には遠い世界だが、書かれている事例が「ありそう」なことは理解できる。母から娘への「呪い」の言葉。娘を思うゆえに傍から見れば頑迷を貫いてしまう母。母親への反発を服の色でしか表現できない娘。いずれも辛いものがある。
霜鳥さんと接点を持つような家庭は、経済的に余裕のある部類であろう。幸せそうな母娘の間にも、他人がうかがい知れない緊張や葛藤がある。そこに割って入り、より良い道に導く仕事は精神科医や心理カウンセラーにも通じている。服飾の世界、なかなか奥深い。
最後に自分と娘の関係に触れるのもフェアで結構。「ところで先生、あなたはどうなんだ」という読者の問いに先回りし、悩める親たちを見事に安心させてくれる。専門家にも、絶対的な正解があるわけじゃないんだと。
冨永 格