「人魚のミイラ」とされる謎の遺物を科学的に分析したところ、上半身が霊長類で、下半身が魚類の特徴を持つことが分かった、というニュースが2022年4月11日に報じられた。しかし、まだ本物の人魚かどうかの結論は出ていないもよう。というのも、日本ではこれまでに多数の「人魚のミイラ」の偽物が見つかっており、展覧会に出品されたりもしているからだ。
上半身が霊長類で、下半身が魚類
今回、話題になっている「人魚のミイラは」は体長約30センチ。岡山県浅口市鴨方町六条院西の円珠院に保存されていた。2月から倉敷芸術科学大が科学的分析を続けて、このほど中間報告した。
山陽新聞デジタルによると、表面観察やエックス線CT検査などで外観や身体構造が判明した。上半身は正面を向く眼窩(がんか)や5本指の両腕、頭髪などがあり霊長類を、下半身は背びれや尾びれを持ち、うろこに覆われ魚類を思わせる外観。歯は円すい型で、臼歯に相当するものがないなど肉食性の魚類を想起させるという。
CTなどの調査では、内臓は確認できない▽抜け落ちた体毛に哺乳類同様のキューティクルがある▽首と背びれに金属製の針が刺さっている―といった事実が分かったという。
今後、骨格や毛について他の生物と比較するほか、剥がれたうろこのDNA分析、剥がれた組織の放射性炭素年代測定などを実施。人々にとってのミイラの意味といった民俗学的な調査も継続するという。
高野山にも伝わる
「人魚のミイラ」の正体がついに解明されるのか――。期待は高まるが、じつは「人魚のミイラ」とされる遺物は多数見つかり、展示もされている。
古くは1987年、兵庫県立博物館で開かれた「おばけ・妖怪・幽霊」展に「人魚のミイラ」が出品された。高野山の参道にあるお堂に伝わるもので、平安時代に近江の蒲生川で生け捕りにされたという由緒書きまで付いていた。信仰の対象だったという。
当時の担当者で、のちに国立民族学博物館に移った近藤雅樹さんが、同館のアーカイブで企画の意図などを回想している。
「『これが生け捕りにされた人魚の絵だ』といって瓦版や浮世絵などで出回っていた絵だったら、博物館でも資料として扱われているんです。ところが、立体的な造形物になると扱われないでいるのはなぜなのか。おかしい。扱っていいじゃないか。どちらも妖怪のイメージを具象化した作品なんだから、とね。で、こうしたつくりものも博物館で展示してみたいと思ったんです」
テレビで「人魚のミイラ」が取り上げられた途端、一気に観客が増えた。中学生や高校生が列をなしてやってきたという。
上半身は猿、下半身は鮭
2000年に全国を巡回した「大妖怪展」などのほか、15年に国立歴史民俗博物館で開かれた「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」でも「人魚のミイラ」が登場している。国立歴史民俗博物館で企画を担当した西谷大さんが同館のウェブサイトで、以下のように説明している。
「そもそも人魚のミイラがどういう形で扱われてきたかというと、一つには中世ごろから人魚のミイラを見ると長生きする、縁起がいい、といった伝承があります。二つ目は見世物小屋ですね。錦絵の中などには見世物小屋のものとしてたくさん出てきます。で、三つ目としては、江戸時代にヨーロッパから来た人たちが『東洋には本当に人魚がいる』と伝えているんです」
どうも、和歌山の辺りには「人魚のミイラ」を製作する集団がいたようだ、とも語っている。
同展で実際に展示したのは、新たに製作した模造品。上半身は猿、下半身は鮭。江戸時代以来の伝統的な製作技法で再現したそうだ。こうして作られた「人魚のミイラ」が昭和までは見世物小屋で見せられていたという。
最近では20年に兵庫県立歴史博物館で開かれた「驚異と怪異 ―モンスターたちは告げる―」展でも、オランダ・ライデン国立民族学博物館の「人魚のミイラ」が展示された。日本から輸出されたものだと見られている。
国立民族学博物館のウェブサイトによると、19世紀半ばに欧米では、「人魚のミイラ」が一世を風靡した。それは幕末に出島にいたオランダ商人が、見世物として流行っていた「人魚の干物」に目をつけ、作り物と承知の上で輸出したものだったという。
『図説 日本未確認生物事典』(角川ソフィア文庫)には、「人魚」が天狗や轆轤首(ろくろくび)、土蜘蛛(つちぐも)、鬼など114種類の「未確認生物」の一つとして取り上げられている。