上半身は猿、下半身は鮭
2000年に全国を巡回した「大妖怪展」などのほか、15年に国立歴史民俗博物館で開かれた「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」でも「人魚のミイラ」が登場している。国立歴史民俗博物館で企画を担当した西谷大さんが同館のウェブサイトで、以下のように説明している。
「そもそも人魚のミイラがどういう形で扱われてきたかというと、一つには中世ごろから人魚のミイラを見ると長生きする、縁起がいい、といった伝承があります。二つ目は見世物小屋ですね。錦絵の中などには見世物小屋のものとしてたくさん出てきます。で、三つ目としては、江戸時代にヨーロッパから来た人たちが『東洋には本当に人魚がいる』と伝えているんです」
どうも、和歌山の辺りには「人魚のミイラ」を製作する集団がいたようだ、とも語っている。
同展で実際に展示したのは、新たに製作した模造品。上半身は猿、下半身は鮭。江戸時代以来の伝統的な製作技法で再現したそうだ。こうして作られた「人魚のミイラ」が昭和までは見世物小屋で見せられていたという。
最近では20年に兵庫県立歴史博物館で開かれた「驚異と怪異 ―モンスターたちは告げる―」展でも、オランダ・ライデン国立民族学博物館の「人魚のミイラ」が展示された。日本から輸出されたものだと見られている。
国立民族学博物館のウェブサイトによると、19世紀半ばに欧米では、「人魚のミイラ」が一世を風靡した。それは幕末に出島にいたオランダ商人が、見世物として流行っていた「人魚の干物」に目をつけ、作り物と承知の上で輸出したものだったという。
『図説 日本未確認生物事典』(角川ソフィア文庫)には、「人魚」が天狗や轆轤首(ろくろくび)、土蜘蛛(つちぐも)、鬼など114種類の「未確認生物」の一つとして取り上げられている。