高野山にも伝わる
「人魚のミイラ」の正体がついに解明されるのか――。期待は高まるが、じつは「人魚のミイラ」とされる遺物は多数見つかり、展示もされている。
古くは1987年、兵庫県立博物館で開かれた「おばけ・妖怪・幽霊」展に「人魚のミイラ」が出品された。高野山の参道にあるお堂に伝わるもので、平安時代に近江の蒲生川で生け捕りにされたという由緒書きまで付いていた。信仰の対象だったという。
当時の担当者で、のちに国立民族学博物館に移った近藤雅樹さんが、同館のアーカイブで企画の意図などを回想している。
「『これが生け捕りにされた人魚の絵だ』といって瓦版や浮世絵などで出回っていた絵だったら、博物館でも資料として扱われているんです。ところが、立体的な造形物になると扱われないでいるのはなぜなのか。おかしい。扱っていいじゃないか。どちらも妖怪のイメージを具象化した作品なんだから、とね。で、こうしたつくりものも博物館で展示してみたいと思ったんです」
テレビで「人魚のミイラ」が取り上げられた途端、一気に観客が増えた。中学生や高校生が列をなしてやってきたという。