25ans 4月号の「古典と現代"三十一字"の手紙」で、歌人の小島なおさんが香りについて想を巡らせている。古典の名歌をとりあげ、同じテーマで現代から「返歌」を送るという、時空を超えた異色の連載である。
本号で味わう古(いにしえ)の一首は古今和歌集から「よみ人知らず」...
〈さつきまつ 花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする〉
「五月を待って咲く、白い橘の花。その香りを嗅ぐと、かつて親しくしていたあの人の袖の香りをなつかしく思い出す...楚々とした佇まいの白い花は、夏の訪れを告げる花でもありました」...ほぼ同時代、平安初期の『伊勢物語』にも登場する有名な歌だ。
続いて、懐かしい人にまつわる記憶の一般論が語られる。
「体の匂いと柔軟剤が混ざった香り。本を読んでいる横顔に垂れる髪。喋り始めるときの声の息。もう会わなくなった大切な人を思い出すとき、私たちの記憶はいつも細部に宿ります。愛おしく、なつかしい細部がその人の輪郭の外堀を埋めてゆく」
短詩を操る人だから当然ではあるが、なかなか詩的な筆運びだ。「大切な人」ほど「なつかしい細部」から再構成され、結んだ像は時に肉体そのものさえ超えていくと。
「その人自身というよりも、まとう空気や気配としか呼びようのないものが、本当の意味で『その人』なのかもしれません」
花が発する声なき声
以上の考察を挟んで、小島さんは掲歌〈さつきまつ〉の解説に移る。
「昔の貴族はお香を薫(た)いて着物に染みこませていました。火取りという鳥籠のような香炉に着物を被せ、香りを薫きしめていたという。貴族みずから調合することで自分だけの香りを作り、生活していたのです」
さらに、衣服に香りを移す薫衣香(くのえこう)、部屋に香りを漂わせる空薫(そらだき)の習慣に触れた後、『源氏物語』から香りのエピソードを引いている。深夜、空蝉(うつせみ)のもとに忍んだ光源氏が、着物の匂いで覚られてしまう場面だ。
「香りを短歌のなかに詠みこむようになるのは平安時代初期の『古今和歌集』以後。『万葉集』(奈良時代末期に成立=冨永注)の時代から、人々の修辞への関心が深まり、表現が進化していることがわかります」
そして「花は声を持たない代わりに香りを放つのかもしれません」と振ってから、いよいよ小島さん自作の返歌である。
〈声帯を持たない花の匂う声 むかしむかしも聞いていた声〉
話さない、喋らないとせずに「声帯を持たない」と書くところが歌人の技だ。
「その声は季節の始まりを告げ、時の経過を知らせ、ときに忘れがたい個人の記憶を甦らせます。『声なき声』に私たちは古代から耳を傾け続けてきたと言えそうです。名前のないひとりが詠(うた)った感慨は、今の私たちの心とつながっています」