ウクライナの戦争がとても気になる。よく眠れない。原発攻撃などというニュースを目の当たりにすると、恐怖が極限に達する。どうすれば少しでも気持ちを安定させることが出来るか――。内外のメディアでいくつかの対応策が紹介されている。
動揺するのは正常
ハフィントンポストの日本語版は2022年2月28日、US版の記事を翻訳、「ウクライナ侵攻の報道で不安やトラウマを感じた時」の対処法を解説している。
「ロシアのウクライナ侵攻のような大きな社会問題が発生した時、SNSやニュースに暴力的な画像や悲しい情報があふれます」
「それにより、不安やトラウマを経験することは珍しくありません」
「これは、他の人たちに共感し、悲しみを感じるという人間の性質によるものです。実際に問題が起きている場所にいなくても、メンタルヘルスは影響を受けます」
「ウクライナ問題以外でも、差し迫った戦争や、長引くウイルス感染、銃乱射事件など、様々な恐ろしい状況でも同じことが起きます」
動揺して不安を感じ、暗い気持ちになるのは、「まったく正常なことです」と説明している。そして、「心を穏やかにするためにできる8つのこと」を紹介している。
1. 信頼できる情報源を利用する
2. 悲しい情報に触れすぎないよう制限しながらSNSを利用する
3. メンタルヘルス専門家のSNSを見る
4. いつもの生活習慣を維持する
5. 体を動かす
6. 必要であれば泣く
7. 不安の対処方法に注意する
8. 支援を求める
前向きな実践も有効
日本ユニセフ協会は3月3日、子どもたちと紛争のニュースを話すときに親が注意するべき点や、不安に思っている子どもとどう接したらよいか、ヒントを紹介している。
「子どもが何を知っていて、どう感じるかを知りましょう」「落ち着いて、年齢に応じた対応を」「偏見や差別ではなく、思いやりを広げましょう」「支え合う行動に注目しましょう」「会話を終えるときには丁寧に」「見守り続けましょう」「ニュースに触れすぎていませんか?」「自分のことも大切に」といった項目が並んでいる。
朝日新聞デジタルは3月4日、「ウクライナ侵攻、子にどう伝える?」という記事でこれらを紹介。ハフィントンポストの記事と同じく、紛争による不安を感じることは自然なことだとしている。そして、子どもたちの思いを軽視したり、否定したりせずに聞くことの大切さを訴えている。「悪い人たち」とレッテルを貼って差別を助長しないようにも呼びかけている。
また、子どもたちが平和を呼びかける活動や募金をするなど、前向きなストーリーを探して実践してみることも、安心をもたらすと勧めている。
「破滅のスクロール」を避ける
英BBCも7日、「ロシアのウクライナ侵攻、ニュースに不安を感じたら? 子どもにどう伝える?」という記事を公開している。
その中でメンタル問題の専門家は、不安を感じる時には「ドゥーム・スクローリング」を避けるべきだと述べている。ドゥーム・スクローリング(直訳で「破滅のスクロール」)とは、インターネット上で過剰に悲観的な情報を摂取してしまう行為を指す。
臨床心理士のエマ・ヘプバーン博士によると、人はよく分からないことに直面した時にドゥーム・スクローリングをしてしまうという。そして、有用な情報で空白を埋める代わりに、大惨事になってしまうことがある。「私たちは明確さを求めるためにたくさんの情報を求めますが、それによってはっきりしなくなることもある。同じ情報を何度も何度も見て、撤退できなくなるからです」と説明する。
メンタルヘルスの慈善団体「マインド」は、1日の中でニュースやSNSを見る時間を限定し、見た後には何かリラックスできることをするよう推奨している。
兵士や記者にも後遺症
実際のところ、戦争で最もメンタルに変調をきたすのは、兵士たちだ。ベトナム戦争では多数の米軍帰還兵が心的後遺症に苦しんだことはよく知られている。
『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)によると、日中戦争、太平洋戦争に参戦した日本軍兵士にも、精神的に傷を負った人が少なくなかった。戦前の国会質疑で、陸軍省の医事課長は、「欧米の軍隊に多い戦争神経症が一名も発症しないのが皇軍の誇り」と胸を張っていたが、実際には、千葉県の国府台にあった陸軍病院には50人以上の精神科医が配置されていた。1937年12月から1945年11月までに入院した精神神経疾患の患者は1万450人もいたという。
沖縄戦では14歳から17歳の少年約1000人が召集され、銃を持ち、ゲリラ兵として米軍と戦った。彼らのその後を追った『証言 沖縄スパイ戦史』 (集英社新書)によれば、約160人が亡くなったが、生き残った少年の中には戦後「PTSD」に苦しんだ人もいた。
トラウマは戦争を報道する側にも及ぶ。著名なジャーナリスト、ピーター・アーネット氏は著書『戦争特派員』(新潮社)のなかで、「ベトナムで仕事をしたジャーナリストの中には、仕事の面でも精神面でも後遺症が残った者が出たし、またベトナム経験があまりにも強烈だったため、平常の生活に適合しにくくなった者もある」と書いている。彼らの多くはニュース稼業から足を洗うか、国内支局に配置換えを求めて日常的なニュースだけを手がけ、二度と再び国際記者として復帰することはなかったという。