「東條のバカヤロー」
では、なぜ社会派を志していたのか。その謎ときは、2017年に出版した自伝『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』が手掛かりになる。
西村さんは戦争末期の1945(昭和20)年4月1日、東八王子にあった東京陸軍幼年学校に入学した。満年齢で14歳。同期生は360人。短期間だったが、徹底的な軍人教育を受けた。「陸幼」は、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)へと進む陸軍の超エリートコースの入り口。大本営参謀や大将の道が開ける。
しかし、戦争は長くは続かなかった。本土空襲が激しくなり、8月2日にはB29編隊が陸幼を襲って焼夷弾をばらまいた。陸幼校舎は炎上、生徒7人、教師3人が亡くなった。翌日、校庭に材木を集めてやぐらを組み、遺体を焼いた。昨日までは戦争に負けると思わず、本土決戦、早く来いと勇んでいたが、さすがに元気が出なかった。
ほどなく広島、長崎に原爆が落ち、8月15日を迎える。何か叫びたくなって、「東條のバカヤロー」「あいつのせいで、負けたんだ!」と叫んだ、と書いている。東條は陸幼の輝かしい大先輩だった。