「天才」としか言いようがない
もはや漫画家というよりも「思想家」「文学者」という感じの推薦理由――たしかにつげさんの作品は、知識人、文化人と言われた人たちに特に衝撃を与えてきた。1967年、漫画批評誌「漫画主義」で特集が組まれたのを皮切りに、しばしば雑誌などで「つげ義春論」が交わされた。「不条理マンガ」「シュール漫画」などとも呼ばれ、心理学者の福島章さんや河合隼雄さんらが分析に加わった。
作品に魅せられ、映像化に取り組んだ人も目立った。1976年にはNHKでは敏腕ドラマディレクターの佐々木昭一郎さんが「紅い花」を制作、国際エミー賞優秀作品賞を受賞した。俳優の竹中直人さんは91年、監督・主演で「無能の人」を映画化、ヴェネツィア国際映画祭で 国際批評家連盟賞を受賞した。俳優の豊川悦司さんはテレビの「つげ義春シリーズ」で「退屈な部屋」などを監督、ギャラクシー賞を受賞した。「網走番外地」シリーズで大ヒットを飛ばしたベテラン映画監督の石井輝男さんも晩年、つげ作品に入れ込み、「ゲンセンカン主人」や「ねじ式」を撮っている。
漫画界では特に影響を受けた人が多かった。『美味しんぼ』原作者の雁屋哲さんは「つげ義春を一言で表現したいと思ったら『天才』という言葉以外は思い浮かばない」「大学生の時に、つげ義春の『ねじ式』を読んで、天地がひっくり返るような衝撃を受けた」(「つげ義春と私」)と語っている。