故郷はロシアが独立承認
実はブブカ氏の棒高跳び人生は、前半はソ連、後半はウクライナの代表だった。1988年のソウル五輪で金メダルを獲得した時はソ連の選手だった。6回連続で優勝した世界陸上では、前半の3回がソ連代表、後半の3回がウクライナ代表だった。
生まれ育ったのはウクライナ東部のルハンシク。そこで名コーチに出会い、成長した。その後、コーチと共に約150キロ離れたドネツクに移ったが、どちらも今やロシアが独立を承認した地域だ。
2020年に日本で発売された著書『なぜ"ブブカ"はスポーツでもビジネスでも成功し続けるのか』(小学館)の中で、ブブカ氏は、「子どものころに憧れたのは、ヴィクトル・サネイエフ。旧ソ連の三段跳び選手で、1968年のメキシコオリンピックに世界記録で金メダルを獲得すると、72年のミュンヘン、76年のモントリオールと、オリンピック3連勝を果たした。彼は偉大なアスリートであり、人間としても本当に素晴らしく、私にとってヒーローだった」と語っている。
さらに同書でブブカ氏は、「私の今の夢は、世界の平和だ。戦争や紛争など様々な課題を抱えているこの世界だが、私はオリンピックムーブメントを中心に、すべての世界が一つになることを望んでいる。世界の人々が、みんな一緒に平和に生きる――オリンピックが、それを実現させる本当に素晴らしいかけ橋になることを信じている」とも書いている。
ロシアとウクライナという対立する二つの国を熟知するブブカ氏。旧ソ連では「年間最優秀選手」に3度も選ばれ、ウクライナでは「功績章第一級」「英雄章」も受章している。長年ユネスコ大使としても活動してきた。
特にロシアの名を挙げずに、「平和と人道」を訴えるツイッターからは、双方の国で「レジェンド」とされてきたブブカ氏の深い苦悩と悲しみが伝わってくる。