スポーツ選手はしばしば、過酷な「敗者の記者会見」を強いられる。2022年1月30日に大阪国際女子マラソンで優勝した松田瑞生選手(ダイハツ)は、そのつらい経験者だ。
しかし、約2年の歳月を経て絶望のどん底から這い上がった。この日、見事に復活。記者会見で、「どんなときも味方でいてくれて、応援してくださるみなさん」への感謝を笑顔で語った。
五輪確実と思われたが
今回のレースで、松田選手はスタート直後から快調に先頭を走った。ただひとり松田選手に食らいついていた上杉真穂選手(スターツ)が25キロ付近で遅れ始めると、あとはペースメーカーの男子選手に囲まれながら一人旅。自己最高記録で危なげなくゴールインした。
18年、20年に続いて大阪国際では3回目の優勝だ。今夏に米国で開かれる世界陸上のマラソンに日本代表として出場する切符をほぼ確実にしたと見られている。
しかし、安心はできない。松田選手は、そのことを痛感しているはずだ。
20年1月の大阪国際女子マラソン。松田選手は2時間21分47秒の好記録で優勝し、残り一枚になっていた東京五輪の代表切符をつかんだと思われた。ところが、3月の名古屋ウィメンズマラソンで一山麻緒選手(ワコール)が、松田選手のタイムを上回る2時間20分29秒で優勝。マラソン代表は、前年秋のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で優勝した前田穂南選手(天満屋)、2位の鈴木亜由子選手(日本郵政)、そして一山選手の3人に。松田選手は補欠となってしまった。
「その場に並ぶのも嫌だった」
日本陸連が設定した過酷な記者会見は、名古屋ウィメンズマラソンの4日後だった。代表に決まった3人に加え、松田選手も出席した。明るく抱負を語る3人と、4日前にほぼ確実と思われていた代表の座から転げ落ちたばかりの松田選手――。
NHKの金沢隆大記者はNHKのウェブサイトで当時の状況を以下のように記している。
「松田はMGCで4位だったので『補欠』として出席した。座った席は一山の隣。終盤までは淡々と受け答えをしていた。しかし、女子マラソンの元オリンピック代表でスポーツジャーナリストの増田明美さんから質問を受けた時、我慢が限界を超えた」
「--切ない気持ちになるが目標は?」
「松田選手 正直なところまだ気持ちの整理がついていないので...」
涙で言葉が詰まった。「再スタートを切れるぐらい気持ちを戻して、体を整えてからまたチャレンジしたい」と声を振り絞るのがやっとだった。金沢記者は、「残酷なほどに、勝者と敗者が色濃く分かれる形となった会見」と報告している。後日、金沢記者は松田選手から、「その場に並ぶのも嫌だったし会見には正直、行きたくなかった」と、当時の気持ちを聞いている。
五輪延期で忍耐が続いた
スポーツ選手にとって、記者会見には光と影が付きまとう。テニスの大坂なおみ選手は記者会見に出なかったことで問題になったことがある。
21年の東京五輪では、競泳女子、米国代表のシモーネ・マヌエル選手が、アスリートが試合で負けた直後にメディアのインタビューを受けることについて、「精神的および感情的に疲弊していること」を理由に強制されるべきでないと、自身のツイッターに投稿して注目を集めた。
東京五輪は1年延期になり、松田選手はさらに長く忍耐を強いられることになった。気持ちを切り替え、1万メートルの代表になろうと挑んだときもあったが、届かなかった。
今回の優勝で、新たな目標としていた「世界陸上代表」に大きく近づいた。優勝インタビューで、松田選手は、「世界陸上という目標に向かって頑張ってきたのでそれが内定することを願って待ちたいと思います」と抑制気味に語った。そして、「最後に一言」と言われ、最もつらかった時期にツイッターで励ましてくれたファンなどを念頭に感謝を述べた。
「どんなときも味方でいてくれて、応援してくださるみなさん本当にありがとうございます。たくさんの応援本当にうれしかったです。2年ぶりに大阪に帰って来て、優勝という結果で終われたことを本当にうれしく思います。『松田瑞生ここにあり』という走りができるよう精進して参ります。また温かいご声援よろしくお願いします」