ウクライナ情勢が緊迫している。ロシアと米国の武力衝突が起こりかねないということで、世界が注視している。
日本人にとっては何となく縁遠い国、ウクライナ。しかし、意外な接点もある。大横綱・大鵬の父はウクライナ出身。東日本大震災で改めて注目された原発事故の地・チェルノブイリはウクライナにある。
イヴァーンと幸喜
在日ウクライナ大使館のウェブサイトは、樺太で生まれ、のちに横綱になった大鵬について以下のように記す。
「伝説的な大相撲力士、大鵬幸喜(納谷幸喜)の運命は、最初から過酷だった。困難な時代であった1940年にウクライナ人の父、マルキャン・ボリシコ(ハルキフ州出身)と日本人の母、納谷キヨの間に生まれ、イヴァーンと幸喜と名付けられた。1945年のソ連による樺太侵攻後、父親が逮捕され母親は子供と一緒に北海道へ逃亡。5歳のイヴァーン・ボリシコは納谷幸喜となり、それ以来父親と二度と会うことはなかった」
父は当初、ウクライナから北樺太に移住。のちに、日本領だった南樺太に移っていたらしい。
少年時代の大鵬は苦労の連続だった。幼いころから母の納豆売りを手伝って家計を助けた。16歳で相撲の世界に入り、21歳で横綱になる。計32回優勝した。1971年に引退、大鵬部屋を創設する。その後のウクライナとの関りについて、ウクライナ大使館のサイトは以下のように続ける。
「晩年の大鵬はウクライナの祖先に興味を持ち、父親は1960年に亡くなったが、2002年大鵬はウクライナを訪問した。ハルキフ州の村で親の家を撮影し、井戸から水を引き、祖先地の土も持って帰った。また、ハルキフ市で相撲の愛好家グループが開催した相撲大会を訪れた。その大会は大鵬幸喜の承諾を得て『大鵬幸喜大会』と名付けられた。大鵬幸喜大会はその後も毎年開催されている。2011年にウクライナのメリット勲章3位を受章した」
ウクライナの南部、黒海に面するオデッサ市には、「ウクライナ系の有名横綱」ということで大鵬の銅像が建立されているという。