POPEYE 2月号の「のみ歩きノート」で、画家の牧野伊三夫さんが「酒に弱くなった」と嘆いている。今作で20回となる連載は、呑兵衛の日常や酒肴などを本職の挿絵つきで記す趣向で、弱くなりすぎては仕事に差し支える。
「五十七歳という年齢になって、最近、めっきり酒に弱くなったように思う。酔っぱらって記憶をなくしたり、眠りこけたりすることが多くなった。酒に弱くなるというのは、つまり酒にだらしなくなるということである」
牧野さんの酒はほぼ毎晩、自宅で一升瓶を抱えてあぐらをかき、湯呑み茶碗にドボドボと注いでいく豪快なスタイル。そして、いつしか二つ折りの座布団を枕にいびきをかいているという、自由業ならではの幸せな時間だ。
「以前は妻に起こされ、パジャマに着替えて寝室へ寝にいっていたが、最近は起こしても目をさまさなくなったそうで、そのまま毛布などをかけて放置されるようになった」
つい最近も夕食で鍋を囲んだ後、落花生をつまみながら洋酒を飲み始めたところ、そのまま「即身仏のように」座った状態で眠ってしまったそうだ。
「このような場合、前後左右にくねくね体を揺らして眠っているらしく、ふとした拍子に目をさまし、顔をしかめながらおもむろに落花生を一粒つまんでウィスキーをひとくち、ふたくち飲んだかと思うと、また眠るのを繰り返しているらしい」
妻曰く〈そんなに眠りに抵抗する意味ある?〉 これは奥様が全面的に正しい。
自宅での酒は量が過ぎても笑い話で済むが、これが外飲みだと厳しいことになる。
飛んだ記憶
先日、九州から上京した客人が東京の酒場を知りたいと言うので、自宅から電車で1時間ほどの浅草橋「むつみ屋」に案内したという。ちなみに牧野さんは福岡県の出身だ。
「弁天湯でひと風呂あびて、串カツやマグロのぶつ、桜さし(馬刺し=冨永注)など注文してのみ始めると、お客たちは東京出張の旅情が高まったらしく、しきりに喜んでいた。僕もうれしくて、いきおいよくのみ始めた」
満足そうな客人たちに感激したか、「普段は絶対にやらない」という居酒屋のハシゴとなる。今度はタクシーを飛ばして湯島の「岩手屋」である。そこで何を注文したのかは覚えていないという。仕上げはバー「琥珀」だった。
「たしかニコラシカ(ブランデーベースのカクテル=冨永注)を注文したはずだが、味の記憶はない。カウンターで眠りこけていたのであろう。一緒に飲んでいた仲間から翌日、御徒町で別れぎわに元気に手を振っていたと聞いたが、そのことも全く覚えていない」
ではどこから記憶があるかといえば、青梅線の昭島駅まで乗り過ごし、折り返しの電車はもうないと駅員に告げられた時からだという。やれやれ。
客待ちのタクシーに聞けば自宅まで6000円、数少ないホテルは満室。駅構内で鞄を枕にふて寝し、始発を待とうとしたところ、どこかでシャッターが下りる音がする。閉じ込められてはたまらないと飛び起き、結局タクシーに乗った。
「なんとも情けない自分に腹がたちつつも、さして反省もせず、次からは酒場の近くにホテルをとっておこう、そうすればたくさんのんでも大丈夫だ、などと思うのだから、まったく困ったものである」
俯瞰で活写する
牧野さんは多摩美大卒。東京の広告会社でグラフィック・デザイナーとして活躍した後に独立、多くの書籍挿画や広告を手がけている。連載のプロフィールによると「酒好き、風呂好き、料理好きとしても知られる」とのこと。乗り過ごしの記述からすると、どうでもいいことだが、お住まいは23区外の中央線沿線だろうか。
こうした随筆でも、何かのスピーチでもそうだが、概して自慢話は退屈で、失敗談は面白い。一人称で語られる身辺雑記の類を読者が楽しめるかどうかは、優れて筆者が自分をどこまで突き放せるかにかかると言って間違いない。
記憶が定かでなくても、客観性は保ち得る。牧野さんは前半の家のみ話では妻の「証言」を交えて己の酔態を描写し、後半のハシゴ酒では客人の観察を頼りに記憶の間隙を埋めている。いくつものエピソードを重ねて「酒に弱くなった自分」を俯瞰的に活写した。
こうした場合、自虐が過ぎると読むほうは白けるが、文末の「居直り」がうまい具合にバランスをとった形。有力誌に連載するだけのことはある。
さて酒の話となれば、私自身のことにも触れざるを得ない。弱くなったと自覚したのは、60前後だろうか。同じくらいの酒量でも翌朝に残る。体力が衰え、アルコールの処理能力が低下したのだろうが、昔のような無茶な飲み方はできない。2年前から医師の強い勧めで休肝日を設けるようにしたら、さらに弱くなった気がする。
ここ2年ほど宅飲みが増えたが、〆のご飯にまでたどり着いたのかどうかを覚えていない朝がある。コロナが明けて、次に自宅を離れて飲むのがちょっと怖い。
京王沿線に住む私の場合、記憶が戻る駅はたぶん八王子となる。
冨永 格