DIME 2-3月合併号の「scenes」で小山薫堂さんが、脚本を手がけた2008年の映画「おくりびと」(瀧田洋二郎監督、本木雅弘主演)について書いている。ご存じ、第81回アカデミー賞(2009年)の外国語映画賞にも輝いたヒット作である。
「その知らせはプロデューサーから突然届いた。『中国で〈おくりびと〉が上映されることになりました』 13年も前に公開された作品である」...それが新作として、上映規模も日本の10倍以上の約5000館という。小山さんが喜んだのは言うまでもない。
「脚本を書いていたのは15年前だから当時の自分は42歳...プレゼントのタイムカプセルを開けたような気分になった」
中国で昨年10月末に公開されたのは4K修復版で、評判は上々という。
「聞くところによると、作品で描かれている死生観に中国の人たちが共感し、何週間も連続してベスト10に入るほどヒットしているらしい。その一番のポイントはSNSだとか。よくよく考えれば、日本で公開された時には、まだ日本語版のTwitterすらなかった」
なにしろ納棺師という特殊な職業を題材にした作品だ。公開当時、関わった人たちはどう宣伝するかで悩んだ。仕上がりにはみんな自信があったので、口コミで広めるべく「10万人試写会」が企画される。小山さんは「10万人もの人にタダで魅せたら有料の客がいなくなるのでは...」と心配したが、それは取り越し苦労に終わった。
挫折のミルフィーユ
「おくりびと」が自分にとってどんな作品かと問われれば、小山さんは間違いなく「失敗と挫折のミルフィーユ」と答えるそうだ。ミルフィーユとは、パイ生地と生クリームなどを交互に薄く重ねたスイーツで、仏語の語源は「千枚の葉」。小山さんの場合、そんな甘いものではなく、無数の失敗と挫折の末にたどり着いた完成形という意味である。
「この作品に散りばめたシーンやメッセージは、人生の様々な失敗や挫折から生まれたものだ。後悔してもしきれない失敗を経験したことが閃きの種となり、記憶から消し去りたいような挫折のおかげでこの物語に着地させることができた」
アカデミー賞の表彰式でオスカー像を抱きながら、子ども時代に父親から言われた言葉を胸中で反芻したという小山さん。中国での成功の報に、同じ言葉を思い出しているに違いない。その言葉とは...
〈人は、知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている〉
再生の物語
DIMEは小学館が発行するビジネスパーソン向け生活トレンド誌。その巻頭を飾る小山さんのコラムは47回を数える。今回は自身の「成功体験」についての回想だ。
ダイヤモンド・オンラインによると、中国での「おくりびと」は公開1カ月足らずで興行収入が11億円を超す人気を博した。葬儀に携わる人たちの間では以前から知られた作品だったが、大衆にも支持されたわけだ。
SNSには〈死生観、家族愛、夫婦愛の映画でもある。3回鑑賞したが毎回泣くところが違う。そのつど新しい発見がある〉といった声が寄せられているそうだ。中国の娯楽市場も成熟し、アニメ以外の日本映画もいい作品は当然評価されるということか。
大市場でのヒットに、滝田監督は「時や国を越えてこの作品が多くの方に受け入れて頂いたのであるならば、本当に映画冥利、監督冥利に尽きます」とコメントしている
小山さんは「おくりびと」について、このエッセイのタイトルでもある「失敗と挫折のミルフィーユ」と顧みている。どんな失敗や挫折が、どのシーンや台詞に結び付いたのかは分からない。「どれかひとつでも成功していたなら、違う作品になっていたかもしれない」とまで記すのだから、失敗と挫折が書かせたシナリオなのだろう。
末尾にある父親の言葉には、異論があるかもしれない。成功者が人生を振り返るときの結果論とも聞こえるからだ。ただ、小山さんが放送作家の道に進んだのは日大芸術学部の放送学科に入ったからで、それも「偶然に偶然が重なった結果」だったという。だから私は「人生は楽観的に行こう」というメッセージと受け止めた。
個々の失敗や挫折が別の道を選ばせ、その先に思いもよらぬ幸せが待つ...そんなイメージだ。そういえば「おくりびと」の主人公も、楽団の解散で失職したチェロ奏者。ちょっとした勘違いから納棺師となり、ほかの仕事にはない充実感に浸る。
映画は正面から死を扱いながら、ある意味、再生の物語でもあった。
冨永 格