インドの風土病だったコレラ
コレラも軍隊が運んだといわれている。帝国主義の時代と言われる19世紀を代表する感染症だ。何度も流行が繰り返され、欧州の大都市、とりわけ大英帝国の首都ロンドンを揺るがした。
『コレラの世界史』(晶文社)によると、コレラはもともとインド風土病だった。ガンジス川流域では何度も発生していた。
英国のインド支配が強まっていた19世紀初頭、英軍がコレラ原生地のベンガル地方からインド内を長距離移動した。その途中のインド中央部で約1万人の部隊のうち約3000人がコレラで死んだ。帰国した英軍がコレラをロンドンにもたらしたという。
1840年にコルカタ(旧カルカッタ)で流行した時は、そこからアヘン戦争に派遣された英軍によって中国に運ばれた。54年のクリミア戦争では、仏は約3万人の軍隊を、コレラが流行していた北仏から送り出し、トルコやバルカン半島に広めた。明治期の日本では西南戦争の後、九州で流行していたコレラを帰還兵が全国にばらまき、日清戦争の後でもやはり帰還兵が大陸から持ち帰った。
コレラがインド発であることが明らかになると、英の責任を問う声も上がった。しかし、英は、なかなかインド起源説を認めなかったという。