スペシャルドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語」(フジテレビ系)が2021年12月27日、放送された。俳優の山田裕貴さんが故・志村さん役で主演し、「ザ・ドリフターズ」の付き人となってから正式メンバーとして人気を博するまでを描いた。
9日には、ビートたけしさんの下積み時代をテーマにした映画「浅草キッド」がNetflixで配信を開始。柳楽優弥さん演じるたけしと師匠の、人情味あふれるストーリーは話題を呼んでいる。有名コメディアンの人生を描いた作品、次は誰が主人公のドラマや映画が見たいだろうか。
居候時代のタモリさん
候補としてインターネット掲示板に挙がったひとりが、明石家さんまさん。1974年に故・笑福亭松之助さんに弟子入りし、落語家として修業していた。2019年3月5付の女性自身(電子版)が、当時のエピソードをこう紹介している。
さんまさんは入門後すぐ松之助さんに「やめます」と告げ、交際していた女性と大阪から東京まで「駆け落ち」した。東京での生活はうまくいかず大阪に戻るが、松之助さんはとがめず、さんまさんの面倒を見続けたという。こうした逸話を映画・ドラマ化してほしいという人がいる。
タモリ(森田一義)さんは、漫画家の故・赤塚不二夫さんとの居候エピソードが有名だ。「赤塚不二夫伝 天才バカボンと三人の母」(著・山口隆氏、内外出版社)の2019年9月13日付の公式書籍紹介によると、タモリさんは1975年に福岡から上京し、東京・新宿のバー「ジャックの豆の木」でデタラメな外国語といった即興芸を披露していた。
その芸にほれ込んだ赤塚さんはタモリさんに「泊まるとこあるの」と尋ね、目白のマンションに住まわせた。ほぼ1年にわたってタモリさんの衣食住の面倒を見たという。タモリさんがテレビでブレイクするまでの不思議な半生も、ドラマ映えしそうだ。
有吉さんは「猿岩石」ブームから急転直下
有吉弘行さんの人生も波瀾万丈だ。1996年にお笑いコンビ「猿岩石」として「進め!電波少年」(日本テレビ系)のヒッチハイク企画に出演。過酷な旅の日々が注目され、同年リリースのデビューシングル「白い雲のように」は100万枚以上を売り上げるなど、アイドル的な人気も博した。
自著「お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ『生き残りの法則50』 」(双葉文庫)によると、猿岩石ブームが去った後、仕事も給料も一時「ゼロ」になった。漫画家やセクシー男優への転職も考えたことがあったという。その後毒舌芸などで再ブレイクを果たした有吉さんの半生は、ドラマ化にはもってこいだろう。
「M-1グランプリ2021」優勝コンビ・「錦鯉」はどうか。ツッコミの渡辺隆(43)さんもさることながら、ボケの長谷川雅紀さんは50歳という年齢でM-1優勝を果たし、結果発表後に感涙する姿は審査員や視聴者の涙も誘った。
21年3月18日の「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)では長谷川さんが、貧乏生活時代を振り返った。自宅の電気を止められているとき、信号機の明かりでひげをそったエピソードを披露。若手芸人がひしめく中、最年長優勝で感動を与えた錦鯉の過去も、映像化に向いていそうだ。