殲滅戦、絶滅戦だった
日本で第二次世界大戦というと、太平洋戦争を思い浮かべる。しかし、世界的にみると、アジア・太平洋の戦いは全体の一部だ。主役はどちらかと言えば独であり、欧州が主戦場だった。特に激しかったのが、独とソ連の戦い。
ソ連の犠牲者は約2700万人。半数近くが戦闘員で、他は非戦闘員。独はソ連以外の戦線も含めた数字で戦闘員が約531万人、民間人が約300万人と言われる。両国とも、日本の犠牲者約310万人を大幅に上回るとされる。
20年の新書大賞を受賞した『独ソ戦』(岩波新書)によると、独にとってのソ連戦は、新たな「植民地獲得」という実利に加えて、ナチスドイツが「敵」とみなした者への「世界観戦争」「絶滅戦争」でもあった。健康な独の国民で、ゲルマン民族の一員であれば、ユダヤ人などの「劣等人種」、社会主義者や精神病者といった「反社会的分子」に優越しているというナチズム。占領したソ連領から食料を収奪し、住民を飢え死にさせても独の兵に食料を与えるという「飢餓計画」も立案された。したがって捕虜の扱いも冷酷をきわめ、約570万人のソ連軍捕虜のうち約300万人が死亡した。
有名なレニングラードの戦いでは、独は兵糧攻め作戦に出る。包囲して物資輸送を阻み、100万人が飢え死にしたと言われる。スターリングラードの戦いも凄惨を極めたが、それはレーニンやスターリンの名を冠した街自体を「地上から消滅」させることを狙ったものだったという。