忘れた漢字 五木寛之さんがそれでも手書き原稿をやめない理由

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子どもでも「憂鬱」

   文字が「書く」ものから、もっぱら「打つ」ものに変わって久しい。子どものLINEにも「憂鬱」や「薔薇」が何のてらいもなく登場し、漢字を脳内で記憶している必要性は薄れるばかりだ。だから五木さんのように、手書きこそが快楽であり、漢字が浮かばないと文章が進まない、というような人はますます少数派だろう。

   ただ、パソコン執筆でも漢字と仮名の組み合わせがしっくりこないことはある。私の場合、なるべく難しい字は使わないのが原則で、「つまずく」も「すする」も仮名である。

   そのくせ、こうして他人様の書いたものを味わっていると、しばしば「なぜ平仮名にしたのだろう」という字句が目にとまる。たとえば「時」を「とき」と書く。気まぐれではない。皆さんプロだし、一流出版社の校閲のチェックも入るだろうから、同じ作中では「とき」で統一されていることが多く、余計になぜなんだと疑問がわく。

   五木さんの上記作でも、「ちがい」「ちがう」が平仮名で表記されている。もちろん「違」の字を忘れたとは思えないから、それが筆者のスタイルなのかも知れない。

   新聞にコラムを連載していた頃の体感だが、全体の字数に占める漢字の比率が3割を超すと全体が黒ずんでくる。4割近くだと、まるで学術論文のように真っ黒けだ。仕上がりが黒いなと思った時は、読みやすいように一部を仮名表記に改めたものだ。

   ちなみに、そんな職人仕事を「美白」と称していた。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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