東京五輪で初めて競技に加わったスケートボード(以下、スケボー)。日本人選手の活躍は目覚ましく、女子では西矢椛選手が「ストリート」で史上最年少の金メダル、中山楓奈選手が銅メダルを獲得した。
ストリートは、コースに点在する斜面やレッジ(縁石)、ハンドレール(手すり)、ステア(階段)などを使ってスケボーを乗りこなすスタイル。好成績を修めた代表チームを支え、選手たちの素顔を知る宮本美保コーチに五輪の「舞台裏」を聞いた。
今の日本女子選手はハイレベル
宮本コーチはスケボーデッキブランド「Sunny skateboard」代表として、小柄な日本人の体形に合うサイズのスケボーを展開する活動をしている。自身も高校生の頃からスケボーに慣れ親しみ、22年間もガールズスケーターの一線を走り続け、一時は世界ランキング上位に入っていた実力派だ。
2021年5月から代表チームにコーチとして加わり、主に選手たちのメンタル面を支えながら、技の指導にもあたった。五輪直前の21年6月に開催された世界選手権にも帯同し、各選手のパフォーマンスを目の当たりにして「この技術力、メンタルの強さがあれば、東京五輪で十分メダルを狙える」と確信したという。
「私が大会に出ていた十数年前とは比べものにならないくらい、今の日本女子スケボー選手はハイレベルだと感じました。当時は、世界を相手に戦えるだけのスキルはなかった」
宮本コーチが現役当時の大会は「イベント」のようでもあり、「選手が1年の成果を見せ、互いに褒めたたえ合う場」だった。五輪競技として新しく選ばれたことで、スケボー全体のレベルが底上げされ、「さらに新競技になって初の開催地が東京だったことが、特に日本選手に力を与えたのでは」とみる。
涙で声を詰まらせたエピソード
海外の遠征先で選手たちと食事や買い物を共にし、心を通い合わせていったと宮本コーチ。旧姓が「風間」であることから「KAMA」というあだ名があり、「椛(西矢選手)からは『KAMAじい』なんて呼ばれています。選手たちにとって私は母親と同世代ですが、友達のように思ってもらっているのか...。『コーチ』とは呼ばれなかったですね(笑)」。
終始、笑顔で取材に応じてくれた宮本コーチが、涙で声を詰まらせた瞬間があった。東京五輪会期中の選手たちについて聞いた時のことだ。スケボー女子ストリート8位入賞の西村碧莉選手は、大会前日にある「試練」に見舞われていたという。「本人はきっと、『言い訳になるから』と語りたがらないこと」と前置きし、こう話した。
「練習中に、大きなケガをしたんです。碧莉が技を失敗して顔と膝を地面に強打する瞬間を見て、しかもすぐに起き上がってこないので、これは大変だと思いました。何とか立ち上がってコースから出てきた彼女を、選手村内の病院に連れて行きました」
骨には異常が見られなかったので、ドクターストップはかからなかったが、「痛み止めを打って、それでも車いすに乗らないと動けない状態になってしまった」。棄権するかどうかは大会当日の朝に決めようとなり、「その後『一人になりたい』と言って部屋に帰っていきました。家族や知人に色々と相談したのだと思います」。宮本コーチは、西村選手が本番に参加するのは厳しいだろうと予想したそうだ。
しかし翌朝、西村選手は普段と変わらない様子で現れた。
「いつも通りに部屋から出てきて、コースで練習を始めたんです。しかも、前日に失敗してケガに繋がった技を、決勝本番で成功させたのが本当にすごい。普通なら、ミスをした時のことがよみがえってしまって腰が引け、もう一度失敗してしまったり、怖くてそもそも挑戦できなかったりするものです」
西村選手が必死に見せたパフォーマンスが、「椛と楓奈(中山選手)に良い刺激を与えたはず」と宮本コーチは考える。東京五輪での日本女子選手たちの奮闘が世間に広く知られ、スケボーに興味を持つ人が出てきたと感じている。
競技人口が増えること自体は歓迎だ。宮本コーチは、未来の五輪選手候補たちにこう呼びかけた。
「多くの人に良いイメージを持ってもらうためにも、まずは『誰かの迷惑にならないように、気をつけて練習をする』ことからスタートしてくださいね!」