ネタの引き出し
私は1990年代初め、たしか欧州航路の機上で、このベースボール賛歌を堪能した。気圧のいたずらもあったのか、心地よい涙が止まらず困ったのを覚えている。
くだんのトウモロコシ畑でメジャーの公式戦があったという話題。私も「へえ」と驚いたのだが、この一報を聞いて、井崎さんは真っ先に酒場のハズレ馬券を思い出したのだろう。黄色い画鋲というディテールが、記憶の鮮烈さを物語る。
およそ物書きなら、知識や記憶の断片を乱雑に放り込んだ「ネタの引き出し」を持っている。昔なら取材ノートに、いまならパソコン上か、すべて脳内という猛者もいるだろう。連載を抱えるライターたちは、折々の話題に関連づけて最適の素材を引き出しから探し、全体の構成を練る。コラムでもエッセイでも、それが基本技である。
引き出しは大きいほど、トピックを引っかけるアンテナは高いほどいい。
ただし、書く中身も専門知識に絡ませなければならない筆者たちは、ハードルが少し高くなる。例えば井崎さんの連載に、グルメ情報や恋愛ノウハウを期待する読者はいないだろう。どこかで競馬に関係した話でないと「看板に偽りあり」となる。
だからこそ、トウモロコシ畑で公式戦というニュースに接した井崎さんの「一本できた感」が、わがことのように想像できるのである。
冨永 格