2024年に流通する新一万円札の印刷が始まった。一万円札は渋沢栄一、五千円札は津田梅子、千円札には北里柴三郎の肖像がそれぞれ描かれる。
J-CASTトレンドは、幼少から小学校にかけての子ども時代に使われていた紙幣や思い出について、各年代の男女に聞いた。
万札といえば聖徳太子の世代
70代男性は、当時の紙幣の肖像はもう「覚えていない」と話す。ただ、百円札や十円札を見た記憶があると話した。
60代男性によると、子どもの時には聖徳太子が印刷された一万円札・五千円札と、伊藤博文の千円札が使われていた。高額紙幣に使われていることもあり、「聖徳太子は『偉い』というイメージが今よりも強かった」。男性は当時静岡県に住んでいたが、岩倉具視の五百円札は、「地元ではほとんど出回っていなかった」という。また肖像は覚えていないが百円札を「使ったことがあります」。
50代男性の子ども時代は、聖徳太子の一万円札と五千円札、伊藤博文の千円札、そして岩倉具視の五百円札が使われていた。1982年に五百円硬貨が発行された当初は、手元に回ってきた人がもの珍しさで溜めこむからか、なかなか見かけなかったと振り返る。「早く五百円札なんか無くなればいいのに」と思っていたという。
40代男性の幼少期も、聖徳太子の一万円札と五千円札、伊藤博文の千円札、岩倉具視の五百円札が使われていた。お札の思い出について聞くと、「小学生のとき、地元で下を向いて歩いていたら、聖徳太子が2枚(1万5000円)落ちていたのが記憶に鮮明に残っています。あのとき拾えばよかったなあと、いまだに思い出します」。
30代男性が子どもの時は、一万円札は福沢諭吉、五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石だと話した。どうやら30代と40代の間でお札の「境界線」があるようだ。
国立印刷局サイトによると、戦後の1946年に聖徳太子が描かれた百円札、国会議事堂が描かれた十円札、さらに五円札(彩文模様)、一円札(二宮尊徳)が発行された。十円札は今から66年前の1955年に発行を停止している。
1950年〜1953年には千円札(聖徳太子)、五百円札(岩倉具視)、百円札(板垣退助)、五十円札(高橋是清)。1957年〜1969年には、一万円札(聖徳太子)、五千円札(聖徳太子)、千円札(伊藤博文)、五百円札(岩倉具視)。板垣退助の百円札は、1974年に発行停止となった。
そして1984年には、一万円札(福沢諭吉)、五千円札(新渡戸稲造)、千円札(夏目漱石)がそれぞれ発行された。今から37年前なので、前出の30代と40代で幼い頃の「お札の記憶」に違いがあるのもうなずける。
「二千円札」10代は知ってる?
現在の一万円札(福沢諭吉)・五千円札(樋口一葉)・千円札(野口英世)は、2004年からの発行だ。また、2000年から二千円札も登場している。
24年の新紙幣には、二千円札はない。財務省公式サイトには21年9月2日現在「現在発行されているお札」として掲載されているが、一般的に見かける機会はあまりないだろう。若い世代は二千円札を知っているのか。
2000年代前半に生まれた10代女性4人に話を聞いた。いずれも出身は東京で、子どものころから一万円札は福沢諭吉、五千円札は樋口一葉、千円札は野口英世だ。
4人中3人が二千円札を見たことはあるが、使ったことはないという。1人は、存在を知ってはいるが、見たことはないとした。
なお、夏目漱石の千円札は、4人中3人が存在自体を「知らない」と回答。1人は神社でのアルバイト中に見かけたという。新渡戸稲造の五千円は4人とも知らなかった。
また、20代で沖縄県出身の女性に聞くと、子どものころから現在まで沖縄では二千円札が日常的に使われていると話す。地元のコンビニや銀行ATMでお金を下ろす時にも出てくるという。さらに日本円だけでなく、店によっては米ドルも支払いに使えるとのことだ。