日米の二人が「再評価」に貢献
若冲は京都生まれ。生家は錦小路で青物問屋を営み、若冲も家業を継いだが、40歳ごろに引退。その後は好きな画業にいそしんだといわれる。当時も人気が高かったようだが、画壇の本流ではなく、やがて一般にはほとんど忘れられていた。
「再発見」には二人の人物が大きく関わっている。一人は米国の実業家で美術コレクターのジョー・D・プライス (1929~)さん。1953年にニューヨークの古美術店で若冲の作品「葡萄図」に出会い、独自に若冲コレクションを始める。
もう一人は、美術史家の東大名誉教授、辻惟雄(1932~)さん。1970年に出版した『奇想の系譜』(美術出版社)で若冲ら江戸時代の特異な画家6人を「奇想の画家たち」として取り上げた。この本によって、一部の熱心な美術ファンの間では若冲の存在が知られるようになった。
コレクターとして注目したのがプライスさん、続いて辻さんの研究によって若冲の学術的評価が固まったということになる。しかし一般に知られるまでにはさらに時間を要した。
二人は早くから交流があり、長年親交を深めていた。2013年に仙台市博物館、岩手県立美術館、福島県立美術館で東日本大震災復興支援特別展「若冲が来てくれました―プライスコレクション 江戸絵画の美と生命―」が開かれたが、これは東北大で教えたこともある辻さんがプライスさんに直接頼んで実現したものだという。