「競泳ニッポン」の立役者
閉会式の盛り上がりに不可欠なのが、「平和の行進」だ。大勢の選手たちが、国籍も性別も肌の色も関係なく、腕や肩を組みながら一団となって会場になだれ込んでくる。五輪閉会式のフィナーレを飾る、最も感動的なイベントとして定着している。「東京方式」とも言われる。実はこのスタイルは1964年の東京五輪で始まったものだという。
そのいきさつについては、NHKスペシャル取材班『幻のオリンピック――戦争とアスリートの知られざる闘い』(小学館)が詳しい。
「仕掛け人」になったのは当時、開閉会式典の責任者を務めていた松澤一鶴だ。松澤は東大の学生時代から競泳選手として活躍し、卒業後は水泳界の指導者に。戦前は日本代表チームの監督。1932年のロサンゼルス五輪、36年のベルリン五輪で金メダルを量産して「競泳ニッポン」の名を世界にとどろかせた。戦後は64年の東京五輪開催を主導した田畑政治(NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公)の知恵袋的な存在だった。