石原家のDNA
実は武田さん、集英社から『マチズモを削り取れ』という新刊を出したばかり。本作でも「さて、露骨に宣伝を挟む」と前置きしつつ触れている。
スペイン語の「macho」から派生したマチズモ(machismo)は「男らしさの誇示」「男性優位主義」「マッチョな生きざま」などを指す。武田さんは「この社会で男性が優位でいられる構図や、それを守り、強制するための言動の総称」と定義し直し、日常におけるマチズモを批判的に追いかけている。例えば雑踏で、一人歩きの女性に狙いを定めて体当たりを繰り返す「ぶつかり男」などの話である。
日本におけるマチズモのイコンは石原氏であろう。作品世界だけでなく、作家として、また政治家としての氏の言動の多くは男目線「だけ」で組み立てられており、しばしば物議をかもしてきた。フェミニストの「天敵」といえる。
私はかつて、石原慎太郎氏を新聞コラムで採り上げるにあたり、自伝的な著作を何冊か拝読した。気になったのは、氏が多用する「石原家のDNA」という表現である。周知のように、4人のご子息は父親に似てそろって長身で、それぞれの道で活躍されている。だからあけすけにDNAを持ち出されると、「男系男子の正統性」を誇示されているかのようで、思わず引いてしまうのだ(※個人の感想です)。
もう30年以上前の話だが、取材で田園調布のお宅に何度かお邪魔したことがある。慎太郎さんはまだ50代半ば。プライベート、とりわけ一対一ではコワモテでもなく、人懐こくて話好きの大臣であった。
では私が女性記者だったらどうだったのか、これは確かめようもない。
冨永 格