発信者の甘えが
スポーツ選手や芸能人が多用する「はい、心が折れかけました」といった表現は、ひとつの流行り言葉のようなもの。全部が全部「ヒロイックな自己愛」の発露ではなかろう。しかし金田一さんが覚える「気持ち悪さ」は理解できる。
「折る」という動詞には、修復不能に近い語感がある。ポキリと折れる心について、筆者は「美しく直立して、細く高く、硬度が高くて、壊れやすい」と、ガラス棒のイメージを重ねている。「以前なら、がっかりしたとか、やる気をなくしたとでも言うところ」を、あえて深刻な表現で伝える性根に、発信者の「甘え」が見えてしまうのだ。
これに対し、コロナで四苦八苦の飲食店主が使う「もう心が折れそうですよ」は、より共感を呼ぶ。いつ終わるとも知れないコロナ禍。解除と発動を繰り返す緊急事態宣言に、商いと生活が翻弄されていることを皆が知っているからである。
このように、使う「資格」が問われる言葉というものがある。そもそも成長過程で実力が定まらない少年野球の選手に、スランプという言葉は不似合いだ。スランプは、アスリートに限らず一流どころだけに許される「不調」の最上級表現である。
本作で連載55回となる金田一さんのコラムは、気になる言葉をプロの視点から批評する。当「遊牧民」でもこれまで「乾物屋」「肉肉しい」「スピード感」の回を使わせてもらった。いずれも日本語愛にあふれた、鋭い指摘が満載だった。
今作からは、表現を盛ることなかれという教訓をいただいた。
冨永 格