広がりと奥行き
特段の主張も、クライマックスもない文章。それでも冒頭から読者を引き込み、途中で逃がすことなく最後まで引っ張っていく。プロの技である。
この短文からあえてメッセージを探すなら、コロナ禍のやるせなさとでもなろうか。しかしヤマザキさんの話は、感染症に苛まれる飲食店より、常連客の晩年にフォーカスされているため、物語にある種の普遍性が備わる。たとえば「人は人生の終盤にこんなふうに笑えるものなのか」という筆者の感嘆がそれである。
無垢な子どもの笑顔は何物にも代えがたいが、人生の起伏を刻み込んだ、しわだらけの破顔一笑も味わい深い。そして孤独なその老人の笑顔は、唯一の「心の拠り所」であるフェルッチョの店でのみ見せる表情だろう。
店主と客の戯れ合い、その店だけの料理、一杯のハウスワイン...そうした、たわいもない小さな日常をコロナは奪っていく。読者はフェルッチョの店の苦境を、近所の居酒屋や蕎麦屋に重ねて読むだろう。一編のエッセイは、そうして広がりと奥行きを得る。
冨永 格