チーム取材の原型
田中氏の戦前の活動までさかのぼり、「錬金術」を暴いた『田中角栄研究』。今では単に立花隆さん一人の著作のように思われているが、実際には複数の取材者によるものだった。
『田中角栄研究全記録』(講談社)には、関係した編集者や取材記者の全氏名が掲載されている。延べ100人以上もいて壮観だ。もともとは月刊文藝春秋でスタートしたが、その後、発表の舞台を「月刊現代」など他の複数の媒体に移したこともあって、『全記録』は講談社からの刊行になっている。
『研究』が画期的だったのは、雑誌の論文が首相を引きずりおろすきっかけになったというだけではない。雑誌の取材で異例の大きな取材班を組んだ。いわゆる「チーム取材」。上述のメンバー表をながめると、のちにノンフィクション作家として大宅賞などを受賞したり、数々の単行本を書いて有名になったりした人物が何人も出ている。それだけ腕利きが集められていたのだろう。
この取材で、毎日のように登記所に通って謄本を取ったというメンバーの一人によると、同じように謄本を取る人物がいるので、それとなく探ったら、「東京地検」の人だったそうだ。謄本を取る、という作業がマスコミの基礎取材の一つとして定着したのも、この『角栄研究』からではないか。
文藝春秋は今や「文春砲」で有名だ。おそらくは毎回、相当な取材班を組み、チーム取材を重ねているものと思われる。そのルーツをたどると、74年の「田中角栄研究」にたどり着くかもしれない。類似の手法はマスコミ各社の調査報道で幅広く行われている。その意味でも立花さんの功績は大きかったといえる。