外国では珍しくない
戦後世代にはまだなじみの薄い「飛び級」だが、戦前は制度として存在した。教育ジャーナリストの小林哲夫さんの著書『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)によると、1917年の教育改革で誕生。小学校5年から旧制中学へ(5修)、旧制中学4年から旧制高校に入学できる(4修)というシステムだ。当時の小学校は6年制、旧制中学は5年制だった。
小学校と旧制中学の両方で飛び級を果たした神童に、文化勲章を受章した刑法学者、団藤重光がいる。同級生より2歳年下だった。思春期に同級生と年齢が違いすぎたので、高校に入ると、「自分っていったい何だろうという、いわば精神的煩悶のとりこになってしまった」と自著で回顧していたという。
のちの人類学者、梅棹忠夫は15歳10か月で旧制高校に入った。2浪の同級生から「こんな子どもと一緒に勉強するのは情けない」と言われたそうだ。
飛び級は外国では珍しくない。日本文学研究者のドナルド・キーンもその一人。『ドナルド・キーン自伝 』(中公文庫)によると、小中高を通じて常に一番。飛び級をくり返し、16歳でコロンビア大学に入学した。暗記力が抜群で、数学も得意。ノーベル賞受賞者を輩出している高校に在籍していたが、数学の天才と言われた同級生よりも成績が良かった。語学は、8、9か国語は勉強したという。