「ミエゾウ」や「ハチオウジゾウ」
日本とは無縁のように感じるゾウ騒動だが、実は大昔、日本にもゾウがいた。大陸とつながっていた時代に古代のゾウが生息していた痕跡が、化石などから判明している。例えば、約400万年前にいたとされる「ミエゾウ」は全長8メートル、高さ4メートル。日本国内で見つかっている哺乳類の中では最大だという。三重県総合博物館は、日本各地で見つかったミエゾウ化石を収集して全身骨格を展示している。ほかにも「ハチオウジゾウ」などのご当地ゾウがいる。
約1万5000年前ごろまで生息していたナウマンゾウを最後に、日本列島からゾウは消えた。ところが1408年、ふたたび姿を現す。若狭湾に漂着した南蛮船がゾウを載せていた。そのまま陸路で京都に運ばれ、将軍足利義持に献上されたという。
詳細な記録が残っているのは、1728年に日本にやってきたゾウだ。シャム(タイ)産と言われている。
『享保十四年、象、江戸へゆく』(岩田書院)によると、ベトナムの港から、唐船が7歳の牡象と5歳の牝象を運んで、長崎に入港した。ベトナム人の男女2人の象使いのほか、通訳も一緒だった。
ベトナム語-中国語-日本語で会話し、新たに日本人の世話係が養成された。牝は9月に死んでしまったが、翌29年3月13日になっていよいよ牡一頭だけで長崎を出て陸路で江戸に向かう。毎日、3~5里ずつ、そろりそろりと前進した。途中で京都にも立ち寄り、御所で中御門天皇らが見物している。天皇は、「時しあれは人の国なるけたものもけふ九重にみるがうれしさ」と詠んでいる。