週刊現代(5月22日号)の「人生70点主義」で、梅沢富美男さんがバラエティ番組でコメントする際の勘所を記している。視聴者にどう見られているかを常に意識し、生番組でなければ放送時にカットされない工夫が必要だと。舞台やスタジオで百戦錬磨の人らしく、「キレる老役者」という立ち位置はすべて計算づく、というのである。
日本テレビ系『躍る!さんま御殿!!』の収録でのこと。新しいドラマの告知にやってきた「俳優のお兄ちゃん」に、梅沢さんはこう毒づいた。「そんな話、ほかで話したら誰も拾ってくんねぇぞ」。そこにMCの明石家さんまさんも乗り、現場は盛り上がった。
「さんまさんに話を振ってもらったのにオチも山もないような話を始めたもんだから、『俺がトークってモノを教えてやるよ』と延々と説教を垂れてやったのです」
ところが放送後、ネットには「梅沢のつまらない説教で変な空気になって」といった批判があふれた。梅沢さんは、しかし「してやったり」だった。
「だって、何の恨みもない彼に、私が本気でキレているわけないじゃないですか。あれは、あくまで『フリ』です」
バラエティでの掛け合いのうち、オンエアに残してもらえるのはごく一部。梅沢さんはゲストに花を持たせようと、とっさに「ウルサイ老害に絡まれる気の毒なイケメン」というアングルを思いついたという。
「結果、思ったとおりに長尺で使ってもらえたんだから、思惑通りのアシストです。ネットで話題になるのも全部計算のうち。ダテに毎日テレビに出ていません」
空気を読んでの瞬発力
梅沢さんは、テレビで自分が使われている理由を二つ挙げる。(1)市井の人が言いたくても言えないことをデカい声で代弁する(2)「また面倒くさいことを言っている」という老害芸...つまり、頑固じじい的な発言は「お約束」であって、テレビの前でカラッと笑ってもらえればそれでよし、というわけだ。
「劇場にはその日その日で違う空気が流れています。同じ演目をやろうとも、客層や場所が違えば、ウケる話題も変わる。ダメならさっさと別のことを試す。お客さんに満足して帰ってもらうためには、そういう瞬発力が必要なのです」
舞台での失敗談として、梅沢さんは一人二役の早替わりを振り返る。満開の桜の下、豪農に切られてふらつく花魁から、それを介抱する恋人へ。桜の裏で着物を脱ぎ棄て、黒子にかつらを替えてもらい、帯刀で颯爽と現れる男。その間わずか3秒。見事な早着替えだったが、どや顔で登場した梅沢さんに対し客席は静かだった。釈然としないまま舞台から戻ると、先輩役者でもある母親が呆れ顔で言った。
〈アンタ、早替わりっていうのは間が大事なんだ。お客さんに「梅沢、どこいっちゃったんだろう」って考える暇を与えてあげなきゃ...〉
完璧な早業でも、早すぎて誰も気づかないのでは意味がないと。
「私たちは芸術家じゃありません。どんなに立派な技でも、お客さんに理解してもらえなかったら、それはただの自己満足。思い上がりです。この世界は、ウケてなんぼの商売。肝に銘じた瞬間でもありました」
というわけで、これからも自称「老害街道」を突き進むそうだ。
どっちが本当?
いまや芸になるほど、そして芸能界にその「枠」ができるほど、老害なるものが世にはびこっているということか。いかにも世界有数の高齢国である。
梅沢さんの毒舌や憤激がある種の芸であることは、業界関係者はもちろん、多くの視聴者も承知のことだろう。のべつ本気で怒っていたら、ここまで重宝されまい。
ところが梅沢さん、連載のごく初期の昨秋、テレビ界の事なかれ主義を嘆いて、こんなことを書いている。
〈最近はSNSで叩かれたらすぐ企画を変更したり、場合によっては番組ごと打ち切りになったりする。現場はいま、出演しているこっちが呆れるほど過敏になっている〉
それを受けて、私は当コラムでこう書いた。
〈テレビでは「キレやすいおやじ」として世相に毒づいている梅沢さん。あれは半分以上「演技」だと思っていたのだが、どうも本気で怒っているらしい...計算づくで、あるいは逆に見境もなく怒っているのではなく、彼なりに「怒るべき理由」があるようだ〉
基本的には場の空気を読んでの芸だが、たまに本気でキレる。カメラのフレームから外れた私生活も同様...演技のようでいて、そこに本音もにじむ。
そのへん、あえて曖昧にしているのも「営業戦略」ということなのか。
冨永 格