週刊朝日(5月21日号)の「出たとこ勝負」で、作家の黒川博行さんがコロナ下の体調管理をぼやいている。「よめはん」との暮らしを大阪言葉で描く脱力系エッセイで、間もなく連載100回となる。今作は運動不足の日常から脱することができない自分を突き放しつつ、まったりと老境を記している。
「このところ血圧が高い。かかりつけの病院で血圧手帳をもらって毎日、記録しているが、朝は上が180で下が100、夜は上が170で下が90を超えることもある」
なにやら健康雑誌の読者相談を思わせる書き出しだ。降圧剤の処方を増やしてもらったそうだが、高血圧の原因はやはり太りすぎ。そこをどうにかしないといけない。
「これはほんまに痩せんといかんな。わたしは反省した。毎年、人間ドックでメタボを指摘されている。前々から食事の量は意識的に減らしていて、ごはんは軽く一膳、麺類はよめはんと半分ずつ、野菜はできるだけ多く摂るようにしている」
メタボ解消の両輪は、食生活の改善と適度な運動である。そんなことは百も承知と思われる黒川さん、「とりあえずテニスや」と市営コートに出かけたところ、当分はお休みと告げられた。なんとコロナ緊急事態宣言の発令日だった。
それならウォーキングはどうか。5年ほど前によめはんと近所を回ったが、ただ歩くだけというのが面白くない。雨が降った日を境に1週間でやめたという。10年前には水泳教室に通い始めたものの、目が充血して痛くなり、2カ月でやめた。
妻は「信念の人」なのに
「なにか決めごとをしても守れたためしのないのがわたしのキャラクターで、そこはよめはんとまったくちがう」
日本画家の妻雅子さんは大阪から京都に通い、舞妓や芸妓をデッサンするなど、毎日なにがしかを描くことを自分に課している。買い物も歩いて行くと決めている。
「よめはんはいまや、"信念のひと""意志のひと"なのだ。そんな立派なひとが同じ屋根の下にいるということは、わたしにとってもなにかしらの糧になっているにちがいない」
せめて散歩でもと思った黒川さんは、よめはんに切り出した。
「ね、これから毎晩、ふたりでお散歩をしよ」...以下、夫婦の会話が続く。
妻「なにそれ。どういう風の吹きまわし?」夫「緊急事態宣言やから」妻「意味不明」夫「血圧高いし、メタボやから」妻「それやったら分かる」夫「今日からしよか。お散歩。お手々つないで」妻「今日はお絵描きする」夫「ほな、明日から」妻「麻雀は」夫「麻雀もする」妻「どっちかにして。麻雀か、お散歩か」夫「それはむずかしい選択やな」...いやいや、おおかたの読者には結論が見えているだろう。
「で、麻雀をとった。わたしのアイデンティティーだから。そう、よめはんとわたしは毎日、ふたり麻雀をしている」
普通はオチぐらいつけるのだが、ここで終わってしまうのが黒川流だ。
やらない言い訳
黒川さんは72歳。直木賞に選ばれた『破門』は60代半ばで、候補6回目にしての受賞だった。下積み時代から作家生活を支えるのが、50年連れ添った「よめはん」だ。
作家はギャンブル好きで知られ、よめはんも「麻雀は指紋が消えるくらいやった」というツワモノ。出会いの場は雀荘という夫婦にふさわしい日常である。
お二人のやりとりはあくまで穏やかに、どこか間が抜けたところもあって楽しめる。高血圧という命に関わる問題でさえ、作家の手にかかればボケの素材でしかない。
それにしても、「ほんまに痩せんといかん」という反省はどこまで本気なのか。
ダイエットや健康管理については、数えきれない失敗を含め、私も経験豊富な部類である。昨年も、速歩と節酒のみで15キロ落としたばかり。血圧も肝機能もたちまち正常値に戻ったから、人間の身体は正直だ。
成功の前提条件は、とにかく「始めること」、そして「習慣=生活の一部にすること」だ。自由時間が限られる現役世代にはハードルが高いが、作家のような自由業なら、すべては本人の意思にかかってくる。
黒川さんの場合、やらない言い訳に自分のキャラクターやらアイデンティティーを持ち出すところが、もう十分に怪しい。このままでいいや、という確信犯と見た。
冨永 格