マーラーが付け加えた一節か
しかし、実際は、この「中国の笛」というのは、同時代のハンス・ハイルマンが1905年に出した「中国叙情詩集」というものから適当に選んで焼き直したものであり、さらにそのハイルマンの詩集も中国の原典から翻訳したものでは全くなく、19世紀半ばにフランスで刊行されたエルヴェ・サン=ドニ伯爵とジュディット・ゴーティエらの中国の詩を翻訳した、という詩集からの独語訳であることがわかっています。こんないわば「伝言ゲーム」の末の詩集でしたから、誤訳もあり、オリジナルの詩とはかなり異なっており、オリエンタリズムの盛り上がりの中で、現地の詩人たちがスタイルを借りた自由な著作・・・というべき内容になってしまっています。もちろん、マーラーも、ベートゲの詩をそのまま使っているわけではないので、独自の解釈をしてしまった一人です。
オリジナルの漢詩の意味合いはどうあれ、円熟期のマーラーは、それに素晴らしい曲をつけました。李白の「悲歌行」という詩がオリジナルと推定されている第1楽章「大地の哀愁を歌う酒の歌」では、テノールによって、「生は暗し、死もまた暗し。Dunkel ist das Leben ist der Tod.」というリフレインがフレーズの終わりに繰り返されます。しかし、この部分だけは、原詩には見当たらず、ひょっとしたらマーラーが付け加えた一節・・とも推定されます。
その厭世的な感覚は、全6楽章に渡って貫かれますが、特に、演奏時間がそれだけ30分近くかかる最終第6楽章は、「告別」と名付けられ、アルト独唱によって孟浩然と王維の詩をもとにした自由なドイツ語の詩が歌われます。マーラーの独特のオーケストレーションによって、最後の「永遠に・・」という言葉が歌われますが、漢詩とは別物ではあるものの、東洋と西洋の才能が出会って作られた、心に染み入る世界が展開されます。
マーラーは、この作品を無事に完成させ、次なる器楽だけの「交響曲第9番」も完成させますが、「第10番」にとりかかったところで、未完のまま1911年5月に世を去ることになります。そのため、「大地の歌」も初演は彼の死後、弟子のブルーノ・ワルターの指揮によってその年の11月に行われました。
また、1980年代に、オーケストラ版=交響曲のスケッチ(下書き)ではない、マーラーが並行して作曲していたピアノ伴奏版「大地の歌」の楽譜も刊行され、大きな話題を呼びました。
本田聖嗣