渋沢栄一も参加していた
というのも、以前にもとりあげましたが、パリ万博での圧倒的な人気を誇った音楽的エッキスヒビジョン(展示)は・・・現代では「エキジビション」と表記されるこの言葉を使い始めたのも当時の外国奉行で使節団の事実上の代表だった栗本安芸守鋤雲だと言われています・・・オーストリア館のヨハン・シュトラウス2世が自ら指揮をするウィンナ・ワルツを演奏するオーケストラだったからです。
「美しき青きドナウ」などを毎日指揮する忙しいワルツ王シュトラウスが、日本館を訪れた可能性は低いかもしれませんが、極東からやってきた日本の使節団が、物珍しさもあってパビリオンを巡ったことは容易に想像できますし、その時に一番人気のオーストリア館を訪ねた可能性もかなり高いのではないでしょうか。
ちなみに、その派遣団の御勘定格陸軍付調役、すなわち会計係が、当時まだ幕臣だった渋沢篤太夫、のちの渋沢栄一です。令和3年大河ドラマの主人公にして、令和6年の新一万円札に肖像が載る予定の渋沢は、おそらく「日本人でもっとも早く西洋の生オーケストラを聴いた一人」でもあったのです。
本田聖嗣