with 5月号の「もう、メイク落としていいですか?」で、美容家の神崎恵さんが個性的な顔立ちの魅力について書いている。
「みんな同じ顔に見えるのは、わたしがおばさんだから?」
20代のアシスタントに筆者が放った問いから、本作は始まる。インスタグラムを眺めていた神崎さん、あまりに「同じ顔の超美人さんたち」ばかりなのに驚いたというのだ。
「その光景が不思議で不気味で、自分の目や感覚がおかしいのかと...」
アシスタント氏は「みんな同じ加工なんですよ」と答えた。
「だよね...でもさ、同じ顔でもいいの?...シャープなフェイスライン、小さくとがった顎、顔の大部分を占めるほどの大きな目に、高くとおった鼻筋に小さな小鼻。極め付きの陶器肌...『魅力的だなぁ』というよりは『上手だねぇぇぇ』が上回る」
神崎さんによると、化粧品の進化や美容クリニックにより、誰もが簡単に顔を整えられる時代らしい。勢い、目鼻口の大きさや配置も画一的になりがちだ。
「だからこそ?整えられすぎていないものに年々心が動くようになりました」
移ろう基準
整えられていないものとは、例えば、ちょっと目が離れていたり、唇が大きかったり...そういう造作に、神崎さんは「かわいいなぁ」「キレイだなぁ」と見惚れるという。ファッションでもメイクでも、整えられた美しさというものは確かにある。しかし「性格だって、いい子すぎるより、ちょっと毒があったり、ちょっと『変』なほうが好きになる」と。
「あえてのノーマスカラやノーライン、そばかすが点在するくらいの肌に、センスや生の美しさをじわじわ感じる」
神崎さんはジュエリーの製作も手がけるが、真珠なら粒ぞろいのまん丸より、予想もつかない凹凸や曲線のほうに惹かれるらしい。同じ感覚で、天然石のキズや色の濃淡、その石だけの味わい...そんな未整備の歪さに魅了されるそうだ。
「美しさの基準は時代時代で変化するもの。昔昔はふくよかな体が美しさの象徴だったり、ある国では青白い肌こそ美しさで、そのために血を抜いて顔色を青くしていたという話もあるほど。移り変わる美しさの基準...今そこにないものが美しさの要素になるのかもね」
神崎さんのイチオシはいま「長い首」だという。
「顔もそう。だれもが同じ顔になれちゃう今、そのひとだけがもつ形や色をだせたほうが『美しいひと』になるよね...整えられたものよりも自分だけの凹凸。そのひとだけがもつ愛おしい歪さに美しさを感じています」
自分への自信
冒頭の問いかけにもあるように、若い人が同じ顔に見えたら老いの入口だろう。私も、アイドルでいえば「モーニング娘。」や初期の「AKB48」くらいまでは顔と名前が何とかつながったが、SKEやらNMBやら○○坂などが出てきたあたりで諦めた。ジャニーズ系など男性アイドルはハナから放置である。
神崎さんは、若い女性の顔が「同じ」になった背景として、化粧や美容の技術が向上したことを挙げる。そこに女優かタレント、はたまたモデルか、万人が「憧れる顔」が登場し、多くが競うように「同じ加工」に勤しむことになる。
結果として、持って生まれた顔のオリジナリティは希釈されていく。逆にいえば、個性的な顔立ちには希少価値が生じる。神崎さんはさらに踏み込み、未整備の歪さを「かわいい」「きれい」と評価している。タレントや女優のキャリアもある美容研究家が言うのだから、自ずと権威が付与されるというものだ。自分の顔に自信を持とうというメッセージでもあろう。それもナチュラル、オリジナルの価値を見直そうと。
筆者も言うように、美醜のスタンダードはすぐれて文化的な事柄で、時代により移ろい、また同時代でも国や民族によって異なる。とはいえ「同じ顔」を競うのは、文化とは別物の、むしろ逆向きのベクトルのように思えるのだ。
冨永 格