恐ろしいほどの「早書き」
器用に楽器を扱うようになった息子を見て、父は、演奏旅行に連れて行こうかと思いましたが、すでに彼は13歳、「神童」の時期はとっくに過ぎていました。しかも支配者が度々入れ替わる政情不安の北伊では、お客の層も人数も限られています。
音楽の神童・・となるチャンスは永遠に失われましたが、本人の音楽への情熱は、「あるもの」に触れたことから燃え上がり、彼は15歳にしてボローニャの音楽学校に正式に入学して、正規の音楽教育を受けることになります。「あるもの」については、また回を改めて取り上げましょう。
そのわずか3年後、18歳のとき、プロのオペラ作曲家としてデビューし、その後は恐ろしいほどの「早書き作曲家」として、数々のオペラを量産し、ヒットメーカーとなります。23歳のときにはすでに16作のオペラを完成し、ナポリのオペラ劇場の音楽監督になるという活躍ぶりで、34歳でパリで引退するまで文字通り、仏皇帝ナポレオンと比較されるぐらいの圧倒的な名声を欧州に轟かすのです。
音楽の才能が一気に開花した例・・と言えるかもしれませんが、そんなロッシーニは決して「神童」ではなかった、というお話でした。
本田聖嗣