「音階を見ると吐き気がする」
当然、両親からほって置かれたジョアッキーノは音楽英才教育どころか正規教育さえまともにうけられず、大の学校嫌い、しかも科目の中では音楽がもっとも嫌い、というやんちゃな少年になりました。「音階を見ると吐き気がする」という旅の途中の両親に送った手紙さえ現存します。
ロッシーニは食通で後年有名になりますが、ボローニャはソーセージで有名な街でもあります。学校をドロップ・アウトし、まかないでソーセージが食べ放題という食肉店に奉公にでます。しかしそこも長続きせず、次に弟子入りしたのが鍛冶職人でした。ところがこれがとんでもない厳しい職場だったため、「学校のほうがまし」と思い直したジョアッキーノ少年は、学校に戻ることになります。
学校に戻ってみると、あら不思議、彼の得意科目は音楽ということになりました。自分が良い声をもっていることに気づいて、歌を勉強し、両親は、あいかわらず劇団で働いていましたから、その劇団で歌ったり、教会の合唱隊に参加してオルガンも習ったり、同時に父の楽器であるホルンを習ったり、チェロも弾けるようになったのです。劇団で時には子役として出演し、普段はチェンバロやチェロを弾くアルバイトもするようになったのです。