週刊朝日(4月2日号)の「ときめきは前ぶれもなく」で、下重暁子さんが「毎日が孤独のレッスン」と題して書いている。かねて「個」の自立を説き、おひとりさまでいいじゃないかと中高年を鼓舞する下重さん。本稿も彼女らしい立ち位置で、つらいコロナ禍だって個を鍛えるチャンスなのだと論じている。
「最近、テレビで不思議な言葉を何回か聞いた。『望まない孤独や孤立...』という言葉である。菅総理の口からも出た。わざわざ望まないとつけるには意味があるのだろう」
災害や事故を含む死別や離別で、図らずも一人になった人に国が手を差し伸べる。下重さんは「一見いいことのように思えるが、その奥には家族第一主義が見え隠れする」と書く。
「日本では家族という小さな国家を単位にした方が管理しやすいので、個であることを極力排除しようとする傾向がある」という筆者。憲法13条(個人の尊重)の「個人」を単なる「人」に変える案が自民党内で浮上していることにも触れ、「個人と人とは違うのだ」と力説する。このあたり、「個」も「孤」も好きな下重さんらしい。
「望む、望まないにかかわらず、おひとりさまは増えている。私はそれが特別のこととは思わない...人と人がつき合うことの息苦しさ、窮屈さ。おひとりさまの自由を知ってしまうと、何物にも替えられない。誰にもこの権利を渡すものかと思ってしまう」
自分を知る
だから下重さんは、人と人の距離を物理的に広げたコロナ禍も前向きにとらえる。
「『孤』と面と向かわざるを得ない。少しくらい淋しくとも、このことこそが大切だ。自分という一人の人間に立ち戻り、自分の中に深く降りていく...コロナ禍をどう過ごしたかで人生は大きく分かれてしまう。勇気を持って自分をよく知ることに賭けてみよう」
せっかくのチャンスなのだから、国が差し伸べる「望まない孤独や孤立」という手にすがる前に、あえて孤独や孤立のまま過ごしてはどうかと。
為政者が顔をしかめそうな挑発、いや提案である。
下重さんが孤独を覚えたのも、実は子ども時代の感染症がきっかけだった。幼くして結核にかかった彼女は、戦争末期の2年間、奈良県の疎開先で家に隔離された。学校に行けず、友達もできない日々。
「しかしあの二年間のなんと満ち足りていたことか。隣の部屋には、父(職業軍人=冨永注)の蔵書や画集も疎開しており、一冊ずつ抜き出しては眺め、たまに調子がいいと散歩に出る...そこで私は孤独の種を自分の心に蒔き、水をやり育てた」
下重さんの著作のひとつに『極上の孤独』があるが、タイトルに孤独をつけた本はますます増えているらしい。そう書いたうえで、コラムはこう結ばれる。
「人はおそれながらもどこか孤独に憧れている。孤を知る人は孤独に強く、孤立にも負けない。その上で知る人恋しさもある。このコロナ禍の中、私も不安やイライラはつのる。しかしこれも、孤独のレッスンと思えば苦にならない」