日本は桜の季節です。ここのところ気温の上昇のせいか、「今までで一番早い開花です」という言葉とともに各地の開花宣言を聞くことも多く、昔は「4月の入学式の桜」だったものが、首都圏などでは「3月の卒業式の桜」になって久しい気がします。コロナの影響で「9月始まりの新学期」が少し話題にのぼったこともありましたが、結局4月から動かなかったのは、一つには桜の季節・・という理由もあるのではないか、と思ってしまうほど、春の日本の桜は見事です。
英語はライラック、仏語はリラ
日本のソメイヨシノが咲き乱れる春の風景は、誰にとっても感動的です。しかし、欧州では日本ほど桜が群生するところはありませんので、別の花を題材にした曲を取り上げましょう。
ロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフの「リラの花」です。
数年前、5月の北海道・札幌に仕事で訪れたとき・・・その日は、いきなり北海道で30度を記録するという暑い日だったのですが、中島公園で咲き乱れるライラックを目にして、感動しました。明るい紫色がメインですが、微妙なグラデーションや様々な色を楽しむことができましたし、明るい陽光の中、垂れ下がっている花の風景も幻想的でした。
「ライラック」は、英語での呼称で、和名ではムラサキハシドイ(紫丁香花)、そして仏語では「リラ」と呼ばれます。革命前の宮廷では仏語が使われていたりして仏と縁の深いラフマニノフの母国、露では「リラ」という呼び方のほうが自然なのでしょう。
彼は、夏の休暇シーズンになると、先祖の地であるモスクワの南東500キロほどのタンボフ州イヴァノフスカという小さな村に移動し、滞在することが恒例となっていました。自然の環境に恵まれた地で、彼は充実した時間を過ごして、たくさんの・・・全作品の8割以上ともいわれています・・・作品をここで作曲したのです。現地の「リラの花」は、北海道と同じく、5月に咲き誇るそうですが、ラフマニノフも、その光景をきっといつも見ていたに違いありません。
終わりに近づくにつれ技巧的なパッセージ
ラフマニノフは、1902年に幼少より仲の良かった従姉妹のナターリャと結婚します。その同じ年に、詩人E.ベケートワの詩にメロディーを付けた歌曲として、「リラの花」を作曲したのです。作品21の12曲の歌曲の5番目として書かれたこの曲に、特別に愛着があったのでしょうか、後の1913年頃に、これを得意のピアノ独奏曲に編曲します。ピアノ編曲版は、冒頭からメロディーと伴奏を複合的に弾いて歌曲をそのまま踏襲していますが、終わり近づくにしたがって原曲の歌曲から少し離れて、彼らしい技巧的なパッセージを追加し、華やかなピアノ曲として締めくくっています。
露ではまだ早春の5月、リラの花が咲き乱れる中に一生の大切な幸福を探しにゆく・・という歌詞の内容の通り、ラフマニノフ自身の人生とも重なる、可憐な歌曲であり、ピアノ曲です。日本の桜も、人の心を動かしますが、ラフマニノフの「リラの花」もこの季節にしみじみと花を愛でながら聴きたい名曲です。
本田聖嗣