見事な「職人仕事」に徹する
こう書くと「形式に則ってただ書いただけ」という簡単な作業に聞こえますが、実際には、同じメロディーの繰り返しばかりにならぬよう、徐々に変化を加えたり、リズムや和音に少しだけ色をつけ加えたり、と様々な技法が凝らされているのですが、ともかく、ハイドンは、器楽で、あるメロディーを作り上げたら、それをソナタ形式に当てはめて、複数の楽章・・大抵は4楽章です・・・を持つ曲を、多くは依頼主の注文に応えて作り続けたのです。
ソナタ形式のピアノ曲はそのまま「ピアノソナタ」と呼ばれますが、オーケストラの場合はこれが「交響曲」と呼ばれます。大げさに言えば、ハイドンの作曲には、神秘的な霊感とか、神の啓示とか、哲学とか、思想性とか、他人が書いた台本、そんなものが介在する余地はおそらく大変少なく、まさに「職人仕事」として、調和の取れた、聴いていて楽しい音楽である「交響曲」を量産し続け、単純な数だけで比較したら、モーツァルトの約2.6倍、ベートーヴェンの11.8倍もの膨大な数の交響曲を残したのです。
彼は、同じ作曲技法を駆使して、素敵なオペラ作品も10作品以上、オラトリオも名作を残していますが、交響曲の洗練された量産ぶりの前にはかすんでしまい、「交響曲の父」という称号で呼ばれることが圧倒的に多くなっています。
現代では、「思想性」や、「哲学性」、「独創性」などが中心的な価値として論じられがちなクラシック音楽ですが、ハイドンの交響曲は、ある意味そんなものとは対称的な「見事な職人仕事」だったために、モーツァルトも、ベートーヴェンも、キャリアのはじめにはハイドンから大変な影響を受けたのです。ハイドンがいなかったら、モーツァルトも、ベートーヴェンも、違った作品を生み出していたかもしれないのです。そういう意味で、ハイドンは、やっぱり「父」なのだと思います。
本田聖嗣