先々週取り上げたヨハン・セバスティアン・バッハ。彼は先駆者というより、彼の時代までに発展してきた欧州各地の音楽を幅広く吸収し、その集大成を成し遂げた点が「音楽の父」という称号にふさわしいのだ、ということをとりあげました。
音楽史では、バッハの死をもってバロック時代は終わり、その後は「古典派の時代」となります。古典派の時代にも、「父」がいます。「交響曲の父」、そして同時に「弦楽四重奏の父」とも呼ばれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンです。
「音楽の父」バッハも、新たなことを生み出したというより、音楽をまとめた・・・と書きましたが、ハイドンも、もちろん「交響曲」を生み出したわけではありません。交響曲という形式で作曲した先駆者が彼より前に存在しました。
ではなぜ「交響曲の父」と呼ばれるのか・・・?その理由は、ちょっと複雑です。「古典派」と呼ばれる時代の音楽そのものにも関係してきます。
「調和がとれていること」を重視
バッハがまとめ上げたバロック音楽・・・彼の作品はバロックの掉尾を飾るにふさわしい傑作揃いですが、その中心は、彼が長い期間、教会に勤務する作曲者だったこともあり、コラール、ミサ、などの多声部の音楽でした。ゆえに、形式としては、フーガなどの、「たくさんの旋律が複雑に絡み合う音楽」に、バッハは情熱を燃やしたのです。「神への畏敬の念」を感じさせるような、壮大に組み上げられた音楽です。
ハイドンは、全く違いました。長い間、貴族であるエステルハージ侯爵家に仕え、その生活の中で活用される音楽を作曲し、供給したのです。その中心的な哲学は、「調和がとれていること」でした。
まだ革命以前の優雅な貴族の生活・・アンシャンレジームと呼ばれる時代の有閑階級にとって、重要なのは、「世の中の仕組みがそのまま続くこと」であり、日常も、形式化された生活の中で、余暇としての音楽を楽しむ、ということでした。
ハイドンは、見事なまでに、職人技でそれに応えたのです。具体的には、短いメロディーを最初に生み出したら、少しずつ形を変えたり、テンポを変えたり、手を加えながら長いものを作り上げ、同時に「聴きやすさ」のためにそのメロディーには、あまり複雑すぎる和音の伴奏をつけない、というような作業です。そして、その曲の「物語」を支えるバックボーンは、バッハのような福音書の物語でもなく、オペラのような文字で書かれた台本でもありませんでした。
「ソナタ形式」という、ある一種の音楽の形式でした。