大変なスロースターター
ファリャ自身もアンダルシア地方の港町カディスの貴族の家柄の出身で、アンダルシアはいわば彼の「ホームグラウンド」でした。しかし半面、首都マドリードなどのカスティーリャ地方や、バルセロナを擁するカタロニア地方と違って田舎であり、1876年生まれの彼にとって、地元の音楽環境は貧しいものでした。彼は、17歳のときに初めて交響曲を聴いて天の啓示のように感じ、音楽の道に進むことを考え始めた、大変なスロースターターだったのです。そしてそれは険しい道のりでした。
首都マドリードに出てピアニスト、ホセ・トラゴに師事したものの、当時のスペイン音楽の第一人者ペドレルには、アドバイスこそもらえたものの、決して温かくは迎えられませんでした。処女作オペラ、やはりアンダルシアのグラナダ郊外を舞台とした「はかなき人生」で、マドリードのアカデミアの賞を得るものの、なぜか上演はされないという謎仕様、独学に近い形で歩みをすすめるファリャにとっても、これ以上学ぶには外国に行かなければならない、と決心させる出来事の数々でした。