決して先駆者ではなかった
確かに、彼の作品を謙虚に聞けば、現代の我々にも、その凄さはわかります。
先週取り上げたように、バッハの時代と現代では、楽器がかなり違っています。ピアノは黎明期すぎてまだまともな楽器が存在しませんでしたし、オーケストラに使われる各楽器も、現代では「古楽器」と分類されるものがほとんどで、現代の楽器とはサウンドがかなり違っています。最近では古楽器での当時の演奏法による復活上演も盛んですが、やはり印象はかなり違ってきます。
しかし、そんな楽器や演奏法の違いを軽く乗り越えるぐらい、バッハの音楽はどれも魅力的で、「新しい現代の楽器で弾いたから、魅力半減」などということは決してありません。有名な「トッカータとフーガ」の冒頭のフレーズ、「衝撃的」ということを表現したり、パロディーで「鼻から牛乳~」という歌詞をつけて歌われるメロディーなどは、300年以上の時を超えて、現代の我々の心にも「刺さり」ます。
しかし、「音楽の父」は、あまり新しいことをやっていないのです。言い換えれば、革命的に新しいことなどを産み出してはいません。新しい楽器の発達などを受けて新しい音楽を開拓しようとしたのは、むしろ彼の息子たちだったりします。事実、バッハの息子たちが撒いた「新しい種」は、そのさらに後のモーツァルトなどに大きく影響を与えています。
大バッハは、決して先駆者ではありませんでした。しかし、まぎれもなくとてつもない才能を持った彼の凄さは、「それまでに存在したあらゆる音楽や哲学や信仰」を統合し、練り上げて、膨大かつ優れた作品を作ったことにあったのです。バロック時代の北ドイツのオルガンを中心とする教会音楽を軸に、先進国イタリアの協奏曲様式や、遠い隣国フランスの宮廷の舞曲の組曲、こういった伝統をすべて自分のものとし、その技法を究極まで練り上げて、すばらしい音楽を編み上げたのです。
それらの多くが宮廷や教会の内部での演奏のためのものだっため、死後しばらくは忘れ去られました。ちょうど市民のためのオペラやオラトリオを書いたヘンデルとは対照的です。
しかし、メンデルスゾーンによって「発見」されてからは、バッハはクラシック音楽の始祖の一人、と崇められるようになったのです。バッハとヘンデルの死をもってバロック時代の終えんと音楽史では分類しますが、まさにバッハは「集大成」を成し遂げた音楽家だったのです。
本田聖嗣