日本の歴史学者が直面する「大問題」

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■『私と西洋史研究―歴史家の役割』(著・川北稔、玉木俊明 創元社)
■『イギリス 繁栄のあとさき』(著・川北稔 講談社)

   1980年代から2000年代前半ぐらいまでは、司馬遼太郎や塩野七生の歴史小説がかなり広く読まれ、歴者学者としては、西洋中世史の阿部謹也や日本中世史の網野善彦が活躍していた。しかし、「歴史がおわった」と断じる歴史家の與那覇潤氏が、最近「kotoba」(集英社)2021年冬号の特集「司馬遼太郎解体新書」でのインタビュー記事(「司馬史観」に学ぶ共存への努力)でいみじくも以下のように指摘する。

   小見出し「物語の過少が人を殺す」との部分で、「いま、日本の歴史業界は不幸ですね。実証的に史実を明らかにしてゆくアプローチと、目の前の事象を理解可能な形にするために物語を紡ぐアプローチとが、断絶してしまっている。前者が後者を一方的に叩く議論ばかりで、対話がない」という。

「実証論文」のほうが学問的なのか

   阿部謹也とも平凡社の仕事を通じて親交をもった西洋史家として、川北稔・大阪大学名誉教授がいる。川北氏は、2019年8月に亡くなった世界システム論の提唱者イマニュエル・ウォーラーステインの主著を翻訳・紹介し、その優れた理論を日本国内に広く知らしめたことでも知られる。

   2010年に「私と西洋史研究―歴史家の役割」(創元社)という研究生活の回顧談を出版している。「はじめに」で、歴史学について以下のような指摘がある。

   「社会科学をはじめ、社会のほかの分野への関心をなくして、細部の『実証』に走ることはあまりよい方向とは思えません。私の学生時代は、マルクス主義的な社会経済史の時代で、小農民が両極分解して、資本家とプロレタリアになっていくという『農民層分解』が主要な課題でした。だから、農民層分解にかんするすごく『実証的』という論文もいくつか書かれました。しかし、問題関心のすっかり変わったいま、それらの『実証』研究はどうなっているでしょうか。理屈っぽい議論や問題意識より『実証』論文のほうが学問的であり、そのほうが寿命が長いと考えるのは大きな間違いです」と断じる。

   また、歴史学が、経済史を土台にした時代区分を扱わないということの問題点(歴史学でなく古文書学になりかかっている)の指摘も目を引く。「誰かが非常に面白いヨーロッパを書かなければならない」という発言は、西洋史だけでなく歴史学一般に通じるのではないか。

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