原稿用紙と万年筆で
五木さんの随筆を当コラムで引用させてもらうのは5回目。文壇の大御所らしく、作品には老いを楽しむような余裕があり、ふた回り下の私などは読むたびに勇気づけられる。老いゆえの泣き笑いは身体の衰えだけではない。本作でも触れられているが、次々に登場するデジタル機器や、新たな社会システムとの格闘も重いテーマである。
五木さんはスマホではなく、「通話機」としてガラケーを持つそうだ。それも外出時には携帯せず、普段は電源も切っているという昭和の人。辞書は電子版ではなく分厚い活字版で、パソコンも使わず、原稿はコクヨの四百字詰めに万年筆で書く。
ご自身は「不自由なことは多いが、それでも生きていくのが困難なほどではない」と意に介さない。頼もしい先輩だが、担当編集者の苦労がしのばれる。
本作のキーフレーズは「ゴミの山に埋もれていまの時代がある」...貫くのは、文化は不要不急から始まり、ゴミのような記憶の堆積として熟成される、という筆者の思いかもしれない。コロナは人の営みを制約し、社会を窮屈にした。
五木さんは夜型を朝型に変え、「うしろを向きながら前へ進む」ことで、そんな時代に適応を図る。大切なガラクタを山と抱えたまま。
冨永 格