今週は、先週に引き続き、ドビュッシーの前奏曲集第1巻の1曲、「沈める寺」を取り上げましょう。先週は楽譜の表記についての問題を取り上げましたが、今回は曲の題材そのものについてです。
題名は曲の末尾に書かれていた
ドビュッシーは、言葉による題名表記が、音楽を聞くときの先入観になってはいけない、という考えを持っていたので、原典版の楽譜において、題名は曲の末尾に書かれています。(写真参照)。曲を聞き終わってから、題名をご覧ください、という趣向なのですが、この曲はあまりにも描写が見事なため、前奏曲集の中でも単独で演奏されることも多く、題名とともに広く知られています。
仏のブルターニュ地方は西北部にあたり、北は英仏海峡、西は大西洋に囲まれた海に突き出た地域です。仏でありながら英国にも地理的に近く、ケルト文化の影響などもあり、ケルト系の独自の地域言語「ブルトン語」も存在し、現在は政治的にはフランスですが、「フランス人であるが同時にブルトン人である」と感じている人々も多く暮らしています。
そんな欧州大陸の西端地域であるブルターニュに伝わる有名な伝説が「イス」の街の物語です。ケルトの神話、といってもよい物語です。5世紀頃、この地を治めたグランドロン王が、一人娘ダユー王女のために、素晴らしい海中都市「イス」を建設します。周囲を堤防で囲まれたイスは、仏首都パリにも匹敵すると言われた規模で、堤防の水門の鍵は王のみがもっていました。実在するブルターニュの街、カンペールの司教はイスが堕落と享楽がはびこる都市として非難しましたが、ダユー王女は聞く耳を持たず、イスの街はますます繁栄していったのです。
しかし、ついにイスには神罰が下り、ダユー王女を誘惑した悪魔が、グランドロン王から水門の鍵を盗むように仕向けさせ、水門を開けられた都市は、一夜にして水没してしまう・・という結末を迎えます。王は司教の導きで海上に脱出し無事・・という逸話がついているので、キリスト教的教訓話の色彩が強い物語なのですが、一方で、海中に没したイスの街からは、いまだに大教会の鐘の音が時間になったら聞こえる・・というあたりは、死後の世界を信じるケルト的匂いを感じることもできます。