コロナの教訓 林真理子さんは余計な欲は持たないことにした

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   週刊文春(2月4日号)の「夜ふけのなわとび」で、林真理子さんが「コロナの教訓」と題して書いている。あらゆる冠婚葬祭が乱された末に得た、ある種の処世訓だろう。

   「ふと気づいた。おととしと昨年のことがごっちゃになっている」...そう書き出した林さんによると、2020年の「引き籠り期間」の記憶がすっぽり抜け落ち、歳月の感覚がどうも怪しい。喪中の友人に賀状を出すようなこともあった。

「コロナのせいで、冠婚葬祭のきまりもすっかり狂ってしまった...担当編集者が結婚したのであるが、親族だけの披露宴ということで、お祝いメッセージ映像に出ただけ。まだ何もしていない...ずるずる四カ月たち、早くもおめでたの知らせが」

   こうした慶事なら、お祝いが遅れてもまだいい。悩ましいのは「葬」だという。

「あたり前といえばそうかもしれないが、この一年というものお葬式に出たことがない。相当有名な方でも、『しのぶ会』は延期になったままだ」。葬儀の簡略化は、コロナが収束しても止まらないだろうと著者は推測する。「だって家族の負担がぐっとラクだもの」
  • 人も車もまばらな平日の銀座。外出自粛の折、欲の捨て場に困る人も多い
    人も車もまばらな平日の銀座。外出自粛の折、欲の捨て場に困る人も多い
  • 人も車もまばらな平日の銀座。外出自粛の折、欲の捨て場に困る人も多い

ブランド葬儀

   林さんの父上が亡くなったのは11年前。故郷山梨の大ホールには、有名作家の父親ということで花輪が並んだ。娘は「にぎやか好きな父に親孝行できた」と思った。

   他方3年半前、お母様が101歳で逝った時は様変わり。葬式の簡素化は地方にも及んでおり、すでに親しい友もいなかった母上を見送ったのは親族ら20人ほどだった。

   林さんたち身内は、せめて花くらいはと奮発した。葬儀の花は参列者が分けて持ち帰るのが故郷の習い。祭壇のランを楽しみにしていた親戚もいたが、葬儀会社から配られたのは新聞紙に包んだ、しなびた菊だった。

〈あんな高い金出したんだから。この花はもらっていいずら? なぜくれんだ〉
〈きっとまた使うだよね。だからこっちに分けてくれないだね〉

   参列者はひそひそ。林さんも釈然としなかったが、場所や立場を考え口をつぐんだ。お葬式そのものは、簡素ながら心がこもったものだったという。

「何よりシンプルでよかった。私もあんな風に送ってほしい。以前は青山葬儀所の前を通るたびに、『私もこのブランド葬儀所で!』と思ったものだが、今はそんな見栄はいっさいなくなった」

   遺された家族に優しい、小さくても温かな葬儀が主流になっていく...そんな流れにコロナ禍がダメを押すと考える林さん。紡ぎ出した「教訓」が結語で明かされる。

「明日はどうなるかわからぬ今日この頃、余計な欲は持たないこと、というのがコロナで私が得た教訓である。ちょっと寂しいが」

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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