欧州発祥のクラシック音楽は、その優れた記譜法・・音楽を楽譜に記す、というシステムが優秀だったために、再演奏や伝達がしやすく、また、世界の広い地域を影響下に置いた欧州列強の国々の力もあって、世界の音楽のスタンダードな基礎となりました。現在世界で音楽のシステムとして採用されている音階や和声法、そしてそれを記録する記譜法は、クラシック音楽のものが広く使われています。
しかし、音楽を記録する優秀な方法だったはずの「西洋記譜法」も、もちろん完璧ではありません。そんな1例を今日は取り上げましょう。
前半部分は「それにしても遅すぎる」
フランスを代表する近代の作曲家、クロード・ドビュッシー晩年のピアノ作品、「前奏曲集第1巻」の中に、「沈める寺」という作品があります。文語調で和訳されたこの題名とともに、ドビュッシー作品の中で日本でも比較的有名な作品です。
フランス・ブルターニュ地方に伝わる古い伝説、神の怒りに触れて海中に没した大きな街「イス」を題材とするこの曲は、街の大教会の鐘の音を、ピアノのほぼ最低音に近い「ド」の音を連打し、それを「ソステヌートペダル」という音を保持する働きのあるグランド・ピアノの3本あるペダルのなかの真ん中のペダルを踏むことによって表現したり、円熟期のドビュッシーならではの効果的な音響表現によって、あたかも一幅の絵を見ているかのような壮大な曲となっています。「前奏曲」という比較的短い曲が集められた曲集の中で、この曲は演奏時間5分を超える堂々とした曲です。
水中に存在する伝説の大伽藍の圧倒的な迫力を描写しているため、全体的にテンポはゆっくりめの曲なのですが、実は、前半部分に、「それにしても遅すぎる」という部分が存在します。現在市販されている楽譜の通り演奏すると、そこだけ「ゆっくり」再生されたかのような音楽になってしまうのです。