週刊SPA!(2月2日号)の「ドン・キホーテのピアス」で、鴻上尚史さんが「ツイッター離れ」のトレンドについて論じている。
〈もう普通の人はツイッターをやっていない、ツイッターからインスタへという流れがある〉というネットでの情報に、「確かに、僕の周りでも、ツイッターを離れて、インスタグラムに行く人が増えています」と反応した鴻上さん。ツイッターが「ケンカ場」になってしまったからではないか、と分析する。
「140字(ツイートの字数制限=冨永注)では、まともな議論はできないんだということを、この数年間で、みんな、それぞれの経験で知ったと思います」
当初から実名でつぶやく鴻上さん。はじめは「140字でも、何回も話せば言いたいことは伝わるかもしれない」と思っていたが、やがて、140字は「議論ではなくレッテルを張るのにちょうどいい文字数なんだ」と気付いたそうだ。
「インスタグラムの写真一枚の情報量に比べたら、ツイッターの140字の情報量の貧しさが際立つようになりました。また、140字にそれなりの情報量を入れるためには、文章力という重要なスキルが必要なんだ、ということも分かってきました」
「ケンカ場」から逃げる
匿名性に守られ、140字で文句を言うことの快感。「他人の発言にいきなり『アホか』とか...『バカは市ね』なんて言葉で始めると、脳内のアドレナリンが出まくるんじゃないかと、中野信子さん(脳科学者=冨永注)が言うかどうかわかりませんが、感じます」
鴻上さんはツイッターの現状を、人気ゆえに下火になったユースホステルに例える。
20世紀初めにドイツで生まれ、鴻上さんが小学生~中学生だった1970年前後から日本でもブームになった宿泊施設。若者に安い宿を提供し、旅先での交流を通じて人間的に成長してもらうシステムだった。バックパッカーの一人旅に憧れた中学生の鴻上さんも、ユースの会員になる。夕食後にミーティングがあり、宿泊者のほぼ全員が歌やゲームに興じた。
「歌が抜群にうまかったり、話し上手だったり、社交的な人が多くいました。が、ユースホステルが盛んになりすぎた結果、さまざまな人が泊まるようになりました...ナンパ目的だったり、自分の話だけをえんえんとしたり、あまり上手くもない歌を一人で歌い続けたりする人が増えてきて、だんだんと楽しさが減ってきました」
それで、どうなったか。穏やかな旅を楽しみたい人はペンションに流れた。家族経営を中心とする日本のペンション人気は、1980年代からだという。客を逃した形のユースホステルも、本来の落ち着きを取り戻したらしい。
「流行りすぎるということは、そういうことなのかとツイッターを見て思うのです」
初期の和気あいあい
私が半ば社命で実名ツイートを始めたのは2013年。初期を知る人は「のんびりと、和気あいあいとしていた」と言うが、私にすれば最初から殺伐としていた。とりわけ政治的なツイートには前後左右から激しい言葉が飛んできた。多くが匿名の、言いたい放題である。
退社して「朝日公式」の看板が消えると、ツイート内容の自由度は増し、罵倒や中傷の類もぐっと減った。その分、140字にいかに情報を詰め込むか、誤解を避けつつファクトや意見をどうまとめるかに精力を注げるようになった。
確かに簡潔な文章は難しく、ツイートを真剣に重ねていればいい文章教室になるだろう。初期の鴻上さんのツイッターには、「読んで文章の推敲力をつけたい」といった返信もあったという。ただ、そこでのやりとりは玉石混交だ。アカウントはピンキリで、善意より悪意が飛び交いやすいのもその通り。嫌気が差して「卒業」する人も多い。
鴻上さんが、今のツイッターをユースホステルに例えたのはさすがだ。「ナンパ目的」「自分の話だけを延々と」「上手くもないのに歌い続ける」...ユースの宿の夕食後の風景は、まさにツイート空間の現状である。
100年超の歴史を誇るユースホステルは健在で、日本協会によると北海道から沖縄まで220カ所が運営されている。最盛期だった1970年代半ばの600カ所からは減ったが、初期の「和気あいあい」が復活しているのかもしれない。
もちろん、ツイッターが「災い転じて」になる保証はない。
冨永 格